半身麻痺と一緒に生きると言うこと|連載第1回

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半身麻痺と一緒に生きると言うこと|連載第1回

連載:麻痺と一緒に
Aug 30, 2022

『お母さんだけ先にお入りください』

 

はじめての脳神経外科の診察室の前で、
看護師さんが一言、
母だけを先に診察室に通し、
私だけ待合室に取り残されました。

 

以前、ドラマで
同じようなシーンを見た事があったので、
「死ぬ?」ってこと?
と焦りました。

 

そのドラマは、
脊髄小脳変性症の女の子が主役でした。

 

そのあと私が診察室に入っても
担当の医師からそんな話はありません。

 

医師によると、脳の脳幹部に、
本来はなくて良い約1cmほどの
影が見つかったとの事でしたが、
私に自覚症状はありませんでした。

 

外身でいうと、鼻筋と頭の天辺の
延長線上の交わる点のやや右側に
影があるとのことでした。

 

「よくわからないから経過を観ていきましょう」

 

こうして、
自らは何も発することなく、
経過観察が始まりました。

 

 


 

 

あれから17年。

 

発見当時高校生だった私は、
専門学生を経て社会人になり、
結婚をし、
子供を授かり、
今は親6年生です。

 

川畑亮輔と申します。

 

今でもとりあえず診断名はなく、
ずっとMRIの経過観察が続いています。

 

脳梗塞など大きな病気はありません。

 

8年前から左半身麻痺を自覚し、
ぶん回し歩行と左手足の震え、
硬直などがありますが、
診察からリハビリ室に通されたことはなく、
障害者手帳はありません。

 

最近、自分が親になって、
両親のことを想うことが増えました。

 

︎高校生

毎回仕事を休んで、
車で脳神経外科へ連れて行ってくれた時

 

︎22歳

始めて頭の開頭術のために入院して、
お腹が痛すぎて「助けて」と、
泣きながら息子にせがまれた時

 

︎お宮参り

左足がびっこを引いて
ベビーカー押している息子の後ろ姿を見た時

 

親はどんなことを思っていたのでしょうか。

 

 


 

 

病院のリハ室だけがリハビリじゃない。
ジムだけがトレーニングする場所じゃない。
毎日がリハビリ/トレーニングだと思います。

 

ここでコラムを書かせていただくことも、
私にとってのリハビリの1つではないか
と思っています。

 

壊れた脳は戻らないと言われています。
でも、出来なくなった事が、
再び出来るようになる事はたくさんあります。

 

どれだけ向き合えたか。
どれだけ逃げてもまた向き合えるか。
今、私は幸せです。

 

 


 

 

高校生の時にはじめて行った
脳神経外科の医師が、

 

「大丈夫、ただの脳震盪だね」
と、言ってくれたら、

 

「大丈夫、すぐ良くなるよ」
と、言ってくれたら、

 

どんなに気持ちが楽だったでしょうか。

 

あの頃からの自分を救うために、
あの頃の自分みたいな人の力になれたら、
と思って日々を過ごしています。

 

少しずつ、
過去から今、
今から過去を
綴っていきたいと思います。

PROFILE
川畑亮輔

川畑亮輔

1988年生まれ。会社員。左半身麻痺者。
2005年、部活中の脳震盪から脳内に嚢胞が見つかる。2010年にスポーツトレーナーの専門学校卒業後、2014年あたりから麻痺症状を自覚。診断名がつかず、現在も経過観察中。より良い生活が送れるよう、日々模索している。
「歩くこと」が生涯テーマ。趣味は下駄散歩。
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