PTである私が起業したきっかけは、勤務先の病院の経営破綻による閉院だった

C magazine for the PT OT ST

勤務先の病院が経営破綻!?PTである私が起業したきっかけ|連載第2回

連載:理学療法士と起業
Apr 12, 2022

第一回のコラムでは、なぜ今のこのタイミングで起業したのかを記載しました。

 

その時は、直感的に、と思っていましたが、今、改めてコラムを書きながら思い返せば、過去の様々な経験から抽出された当然の結果でした。

このコラムを書くことで、どのような経験が「起業」という選択に影響していたのか、私自身、自己認識を深めていきたいと思います。

そして、同じような経験をされている方、これから同じような経験をするかもしれない方々にとって、小さな糧になれば幸いです。

私が「起業」に行き着いた理由を考えた際、最もはじめに頭に浮かんだのは、勤務先の病院の経営破綻による閉院の経験でした。

 

初めての就職先は穏やかな総合病院

 

私が理学療法士養成校を卒業して、初めて就職した病院は地域の中核病院。

一般病棟と療養型病棟に加えて立ち上げて間もない、回復期リハビリテーション(以下、回復期リハ)病棟がありました。

歴史のある病院で地域にも根差しており、とても穏やかな雰囲気の病院です。

その当時、全国の病院でリハビリテーションに特化した回復期リハ病棟の開設が盛んに行われていて、勤務先の病院も療養型病棟を回復期リハ病棟に変更することになりました。

その病棟のリーダーを任されたのが私。就職して3年目、そして翌年には主任という役職に就いていました。

自分の担当患者の理学療法に加えて、未熟者ながら後輩達とのコミュニケーションを工夫したり、病棟の医師、看護師、介護スタッフとの連携を模索しながら日々目まぐるしく働いていました。

 

コスト意識の芽生

 

主任業務の一つに毎月の取得単位つまり収益を取りまとめる作業があり、上司の提案で、リハビリテーション科の各部署の毎月の収益を報告する会議が月一回行われていました。

そこでは科内の各部署、さらには個々のスタッフの収益を科長と各主任とで確認します。

会議資料の作成は決して難しくありません。

理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、言語聴覚士(ST)は20分を1単位として、午前9単位、午後9単位で1日18単位の取得が標準とされていました。

担当患者の疾患(病気)の種類によって、20分つまり1単位の診療点数(単価)が定まっており、それを集計すれば一人が1日でいくらの収益を上げているかがわかります。

しかも専用のパソコンソフトで管理されているので、月に一回、自分の部署のスタッフのデータを出力して資料を作成すれば完成です。

一般企業とは異なり、個人の営業成績が個人の能力によって左右されることはほぼありません。(良くも悪くも)。新規患者の依頼が医師から出た場合は、その時担当している患者数が少ないスタッフに振り分けることが普通でした。

よって、毎月の会議の目的は業務の偏りがないか、毎日の単位が適切に取得できているか、などを確認することです。

しかし、会議とその資料の作成は20代の私に、コスト意識を芽生させるのに十分な刺激でした。

当初はリハビリテーション料として毎日、毎月、これだけの収益を上げているのかと驚いたりもしましたし、誇りにも思ったことを覚えています。

そんな会議の報告を自分の部署の後輩達にもすることで、若いスタッフ達がコスト意識を持ちながら働くようになったり、病院という組織の一員として患者に対してはもちろんのこと、経営にもしっかり貢献していたと思っていました。

そんな中、病院の経営が傾いていることが伝えられたのです。

 

 

勤務先の病院の経営破綻による閉院

 

ある時、経営陣より病院の経営状況が悪化していることが伝えられました。

この土地に病院事業を継続する為には、他のグループに買い取ってもらう必要がある、とのことでした。その額は膨大で、もし買取手が見つからなければ、この土地は更地になりマンションが立つらしい、という噂も広がっていました。

さすがに、その時は職場を失うことを覚悟しました

しばらくして、買取手が見つかり全国的に病院や施設を展開しているグループに経営が引き継がれることになりました。

そして、歴史のある穏やかな雰囲気の総合病院は、音も立てずにひっそりと閉院したのです。

ある日、古い建物には似つかわしくないピカピカな看板が設置され、そこには見慣れない病院名が記されていました。

私たちはPT、OT、STとして常に担当患者のリハビリテーション業務を適切に行なっていました。決して高いとは言えない給料ではありましたが、皆が情熱を持って仕事をしていました。

加えて先に述べた通り、リハビリテーション科の中の経営状態は毎月確認され、若いスタッフが多い中、コスト意識も持ち合わせていたのはその当時では稀であったように思います。

しかし、病院全体の経営が傾いていることなど、末端の職員が把握する術はなく、もちろんそれを改善するためにどうするかなど、検討する機会などは得られるはずもありません。私たち職員は閉院の決定に従うしかなく、経営が別のグループに引き継がれることも従うしかありませんでした。

この時期は当然、一緒に働いたスタッフとの別れも多かったです。

「一生懸命やってもどうにもならないことがあるんだな。」と、社会の厳しさを経験し、無力感も味わいました。

 

強調されるコスト意識

 

経営が引き継がれた後、まずは当然ながら経営を持ち直すために、病院全体にコスト意識を根付かせることが実践されました。

その取り組みの一つとして、グループの経営トップが毎月来院し、院内の全ての部署の経営状態を把握する病院全体の経営会議の開催されました。

私は程なく、病院内に新しく開設される介護保険領域の通所リハビリテーション施設(通所リハ)を任されることになります。
新設の部門であるので当然、収益がゼロからのスタートでした。

毎月行われるようになった病院全体の経営会議に参加するように言われ、自分の部署の収益を発表する立場となりました。

その当時、経営会議の参加者の中で私は最も若手でかなりのプレッシャーでした。

しかし、リハビリテーション科の独自の取り組みとして、今までも収益を確認することやそれを報告することに慣れており、そのおかげで、経営トップを目の前にしても比較的に落ち着いて報告ができていたように思います。

 

通所リハの運営

 

私が任された通所リハ施設は少人数の部署でした。

皆がとても協力的で、利用者のサービス向上と経営上の目標達成とを全員で必死に実行することができていました。

そのおかげで、収益も順調に推移し、一年が経った頃には必要な物品やスタッフの増員を関係各所に交渉して獲得するまでになっていました。

その当時の私は組織が自分に期待しているであろうことを理解していましたし、それをとにかく前向きに取り組んでいました。医療としての理学療法、介護保険下での利用者サービス、そしてそれらから、収益を適切に得るための手続きなど、どれもやりがいのある仕事でした。

新しいグループに経営が引き継がれて2年が経とうとした頃、私は上司との面談で退職したいと告げました。

その時もなんとなく直感的な判断だったように思います。

なぜなら、次の就職先を探すこともしていませんでした。

自分の時間や人生を自分自身にもう少しだけ、取り戻したかったのだと思います。

 

こうして私の理学療法士としての、社会人としての一期目ともいえる8年間が終わりました。

初めて就職した病院、そして引き継がれた組織での経験は本当に多くのことを学ばせてくれました。

当時は、言葉が足らず、この「コスト意識」や「経営破綻と閉院」そして「経営が引き継がれた経験」、「通所リハの運営」などから私自身、何を学んだのかを明確にできていませんでした。

しかし、今ならこの「起業」というアクションを起点に過去の経験を自分の言葉で解釈ができます。

 

今回はエピソード編として、次回のコラムではこのエピソードから私が学んだことを掘り下げていきたいと思います。

 

PROFILE
重國宏次

重國宏次

1980年生まれ。理学療法士。早稲田大学スポーツ科学研究科 スポーツ科学修士課程 修了。東京保健医療専門職大学 専任教員。十条かねたか整形外科で非常勤勤務。2021年外出や旅行を楽しむための身体づくりをサポートするトレーニング・コンディショニング事業「グッドレッグ」を起業。臨床・教育・研究・個人事業に携わりながらセラピストの新たな可能性を模索している。webマガジン「C」編集長。

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