12月~1月ホイスコーレを卒業してからの生活編

C magazine for the PT OT ST

12月~1月ホイスコーレを卒業してからの生活編〜23年目PTの海外留学物語Vol.6

連載:23年目PTの海外留学物語
Feb 9, 2024

ホイスコーレを後にして

 

ホイスコーレを名残惜しみながら後にして、バスと電車を乗り継ぎコペンハーゲンでお友達と別れ、ゲストハウスへ移動。宿は初めてデンマークに来た時に泊まったのと同じところにしました(駅近、綺麗でオススメ)。

 

宿のラウンジで『どれどれお友達からのメッセージを読もうかな』なんて例の封筒を手に取ってみたのですが急に寂しくなってしまって、ひとりシクシク泣き出す始末。この日は気持ちがどうにも疲れ、楽しみにしていたビールも飲めず早々と自室に戻り、ひたすら眠りました。

 

翌朝は少し高価だけど自分への労いを込めてゲストハウスの朝食(ビュッフェ)を摂ることにしました。

 

初めてデンマークに来た時は食具はフォーク一択だったのがナイフとフォークを選んだり、白っぽいパンではなく迷わずライ麦ブレッドを選んだり。自分の変化がこんなところに現れ出ていてちょっと面白かったです。

 

チーズとコーヒーが相変わらず美味しくて、沁みました。

 

この後の滞在中の食事は近くのNETTOという良心的な価格のスーパーマーケットでライ麦ブレッドやカニサラダや果物、ビールを調達しました。コスパ最高!空き缶をスーパーのリサイクルに持っていくと換金してくれるシステムも勿論活用しました。

 

ホイスコーレ生活で学んだ技です。

 

フライトまでは、世界一美しいと称されるルイジアナ美術館で展示をじっくり鑑賞したり(ロシアのフェミニスト・パンク・ロック集団『PUSSY RIOT』の展示は『C』のメンバーがすきそうだな~と思いながら観ました)、クリスマスマーケットを流したり、雨の中往復2時間歩いて人魚姫のブロンズに会いに行ったり、やりたい事をやるために時間を使いました。

 

帰りの飛行機は。機体が、離陸してデンマークの地面から自分の身体をみるみる遠ざけていく事が、本当に悲しかったです。

 

 

そして日本の地へ

 

羽田空港に降り立って、日本語が飛び交う雑踏、目に入る看板はだいたい日本語。デンマークっぽい物はこれといって見当たらない。本当に帰ってきちゃった。ガックリ。と痛烈な印象でした。

 

何をみても『ここはデンマークじゃない』とうるうる。

 

コーラを見れば『お友達がコーラ好きだったなあ』うるうる。

 

ノーフュンスホイスコーレで聴いていた音楽を聴けばうるうる。

 

でも聴きたい。うるうる。

 

あの秋タームの学生であるという身分、あの時一緒に過ごしたメンバー、もうあの貴重な時間は戻ってこないのです。うるうる。

 

帰国してからというもの、ノーフュンスホイスコーレ・ロスでやる気が非常に少ない状態、どうしようもない気持ちで日々を過ごしていました。ホイスコーレのお友達とのグループLINEが心の救いだったと言っても言い過ぎではありません。

 

ホイスコーレでは少ない持ち物で心豊かに生活できていたので、自宅に戻ると自分の持ち物の多さに驚きました。そういう環境も動きにくさを助長していたのかもしれません。

 

それでも。特に急かされる事もなくのろのろ時間を過ごしていると外に引っ張り出してくれるお友達が現れ、自分でも就活を細々と始めたり読書したり自宅の不要品を捨てる事が徐々にできるようになってきました。セラピストとして重視していた手指の保湿も。

 

また、人脈とはとても有難いもので、素敵な活動をなさっているノーフュンスホイスコーレのOB・OGの方々やデンマークの社会保障制度に注目している日本人の方々と繋がる事ができました。今後、一緒に何かできたらというワクワク感があります。

 

 

ホイスコーレ・ロスはまだまだ引きずりそうですが、時間をかけて昇華できると良いなと思っています。SOSUでモモヨさんから学んだ『デンマーク風の吹かせ方』の教えに則って(笑)。

 

私が何か変わったか?!と問われたら自分では『そうでもないかな』というのが正直なところです。でも結果はどうであれ、思い切ってデンマークに行ってみて本当に良かったです。

 

ノーフュンスホイスコーレに滞在して得た様々なものは『小さな種』のようだと思っています。いかすもころすも、というやつです(汗)。自分としては『こうなりたい』というものは在るので、寄り道しながらもそれに近づいていきたいなと思っている所存です。

 

フォルケホイスコーレとは

 

・民衆の民衆による民衆のための成人教育機関。19世紀にデンマークの農村を中心に発達し、勤労青年を主たる対象にした社会教育施設。デンマークのニコライ・フレデリク・セヴェリン・グルントヴィが理念的なものを提唱し、のちにクリステン・コルが寄宿制の学校として創始。

 

・フォルケホイスコーレの特徴は、試験や成績が一切ないこと、民主主義的思考を育てる場である事、知の欲求を満たす場である事。

 

・全寮制となっており、全員が共に生活することなども代表的なフォルケホイスコーレの文化。教員も各校数人は敷地の中に自宅がある。

 

・現在では特定の分野に特化し個性のある学校が70校前後ある。アート、スポーツ、哲学、福祉など様々だが、今でも創始者の目指した知を蓄える場所であることや、民主主義を育てる場所であることはどの学校も一貫して守られている。

 

・フォルケホイスコーレを説明するための4つのキーワードは

①探す、見つける、追及する

②試験なし、成績なし

③会話、談話、対話

④共に学び、暮らす

 

ありがとうございました!

 

編集長はじめ『C』の仲間たち、書かせていただいて応援していただいて本当にありがとうございました‼︎

 

読んでくださった方々も、どうもありがとうございました‼︎Tusind tak!

 

今後とも、誰もが、やりたい事をやりたい時にやれて、参加できて、自分の意見が言えるすてきな社会環境づくりを、みんなで一緒に考えて実践していきましょう。Vi ses:)

 

そのほかの記事はこちら

 

23年目の理学療法士の海外留学物語〜デンマーク・フォルケホイスコーレへ〜Vol.1

ノーフュンス・ホイスコーレでの生活9月〜23年目PTの海外留学物語Vol.2

ホイスコーレの一大イベント「スタディトリップ」〜23年目PTの海外留学物語Vol.3

ホイスコーレでの11月の暮らし〜23年目PTの海外留学物語Vol.4

ホイスコーレ12月の生活編〜23年目PTの海外留学物語Vol.5

ホイスコーレでの思い出〜23年目PTの海外留学物語「番外編」

PROFILE
中島京子

中島京子

理学療法士。資格取得後23年間のうち急性期病院、回復期リハビリテーション病院、介護老人保健施設、診療所、訪問看護ステーションでの勤務を経験。『C』の仲間たちそれぞれの、世の中の生きづらさを低減するアクションを尊敬している。多くの人との出会いの中からデンマークに興味を持ち始め2023年デンマーク留学に挑戦。情報があり過ぎてまだふわふわしている状態。帰国後は児童発達支援教室の指導員と、ナイスなゲストハウスとのダブルワークをしている。ビール大好き。
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