
常に『住みたい街ランキング』の上位に名を連ねる東京・吉祥寺。洗練された街並みと豊かな自然が共存するこの人気エリアで今、地域医療の未来を左右する問題が起きている。
【吉祥寺救急医療の要】アクセス抜群の場所……吉祥寺市街の中心に建っていた吉祥寺南病院
事の発端は’24年10月。吉祥寺エリアで唯一の二次救急医療機関(入院や手術を要する重症患者を24時間態勢で受け入れる病院)であった吉祥寺南病院が、建物の老朽化を理由に診療を休止したことだ。
この地域では、これまでも救急を担ってきた病院の閉院や機能縮小が相次いでおり、吉祥寺南病院の休診と合わせ、この10年間で失われた病床は合計で330床以上にのぼる。
これにより、地域の救急医療体制に深刻な空白が生じたのだ。 そうした中、’25年3月に医療法人「東京巨樹の会」が事業を引き継ぎ、300床規模の新病院を建設する計画が浮上。武蔵野市も計画を支援する方針を示し、事態は解決に向かうかに見えた。
しかし、この再建計画に対し、武蔵野市周辺の既存病院から異論が噴出したのだ。住民の期待と、既存医療機関の懸念。吉祥寺で一体、何が起きているのか。
議論が本格化したのは、’25年9月18日、地域の病院の役割分担や病床数などを協議する「北多摩南部医療圏 地域医療構想調整会議」(以下、調整会議)の場だった。新病院の計画に対し、近隣の既存病院から強い懸念の声が上がったため、この問題に特化した臨時会が開催されたのである。 そこで、吉祥寺の新病院建設計画について、病床規模やその必要性に関して強い懸念が表明されたのである。
ある病院の代表者は、地域の医療データを提示しながら次のように述べている。(以下〈〉内の発言は、会議に参加したある病院代表者の発言で議事録から要約したもの)
〈(都が示す)必要病床数は’13年以前のデータを基に算出されており、現状にそぐわない。在院日数の短縮化により、多くの病院で病床稼働率が下がっており、現場の感覚では必要病床数はもっと少ない。吉祥寺南病院の休診後、その救急受け入れ分は、すでに地域の他の医療機関で吸収できているのが実情だ〉
さらに、将来の人口推計にも触れ、 〈この地域の85歳以上の人口は’35年をピークに減少に転じ、必要病床数は減っていくだろう。将来を見据えて慎重に考えるべきだ〉 と指摘。新病院の建設計画が、地域の病床過剰を招きかねないとの見方を示した。 また、別の病院関係者からは、経営面への影響を危惧する声も上がった。
〈今回の計画は、経営難に直面している既存病院に追い打ちをかけ、看護師など医療従事者の争奪や偏在を生じさせ、人材不足を増長させる懸念がある。当該医療圏において、負の影響は小さくない〉 議論は、新病院に期待される災害時の医療機能にも及んだ。
武蔵野市は市域を3つのエリアに分け、それぞれに災害拠点病院、または災害拠点連携病院を配置してきた。吉祥寺南病院の休診により、現在、同市の東部地区の災害拠点機能は空白となっている。市はこの状況を課題と捉え、新病院がその役割を担うことに期待を寄せている。
これに対し、調整会議では異なる視点からの意見が示されている。
ある代表者は、他市の訓練事例を挙げ、 〈大規模災害の初期において医療資源をむやみに分散させるより、集約したほうが機能しやすい〉 という考え方を提示。
その上で、 〈災害は市町村単位ではなく、より広域で対応を考えるべきだ。隣の三鷹市には(災害拠点連携病院である)野村病院があり、自治体を超えた協力体制を築けば対応できるのではないか〉 と述べ、吉祥寺地区の住民は災害時に隣接する三鷹市の病院を頼ればいいとの考えを示し、新病院に災害拠点機能を持たせる必要性に疑問を呈した。
一方、武蔵野市や地域住民は、救急病院の早期再開を強く望んでいる。市は計画を後押しするため、建設予定地に隣接する市のコミュニティセンターを移転させ、敷地を提供するという支援策を決定。市民説明会でも、参加した住民のほとんどが建設に賛同の意を示したという。 吉祥寺南病院の前院長で新病院の建設にも関わっている藤井正道医師は、調整会議での議論は、 「患者の生活という視点が欠けている」 と指摘。特に災害拠点に関する議論については、立地の重要性が見過ごされていると語る。
(以下「」内の発言は藤井医師) 「新病院の予定地は、災害時に緊急車両の通行が最優先される『特定緊急輸送道路』に面しています。また、繁華街にも近く、そこでの負傷者もすぐに運び込める。災害発生時の初期医療拠点として理想的な立地です。広域連携はもちろん重要ですが、被災現場から近く、アクセスが確保された拠点があることの価値は計り知れません」
さらに、平時の救急医療における時間の重要性について、次のように指摘する。
「救急医療の本質は、単に命を救うだけでなく、患者さんが後遺症なく元の生活に戻れるよう支援することにあります。例えば脳卒中の場合、脳は酸素の供給が途絶えてからわずか5分で回復不能なダメージを負います。調整会議の『受け入れ先はある』という議論は、搬送に30分かかっても病院に着けばよい、という考え方かもしれませんが、その30分という時間がいかに患者さんの予後を左右するかという視点が重要です。医療の評価は、患者さんが社会復帰できたかという点でなされるべきです」 また、救急医療を継続するための病院経営と、高齢化社会におけるリハビリテーションの重要性についても、次のように続ける。
「現在の診療報酬制度では、救急などの急性期医療は入院日数が長くなるほど収益が悪化する構造になっています。
そのため、病院が救急を受け入れ続けるには、急性期を脱した患者さんを受け入れ、集中的なリハビリで在宅復帰を支援する『回復期病棟』を併設することが不可欠です。ここで提供される質の高いリハビリは、患者さんの介護度を上げずに自宅での生活に戻れるようにするなど、その後の生活の質を大きく左右します。
そして、その質の高いリハビリを実現するには、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士といった多職種の専門チームが必要となります。こうした専門スタッフを十分に確保し、効果的なプログラムを実践するには、それを支えるだけの病床規模がなければ難しいのです。
救急の赤字を回復期で補い、病院全体として持続可能な経営を行う。この両輪を機能させるためには、300床という規模は、もはや贅沢ではなく、地域で責任ある救急医療を担うための必須条件なのです」
経済誌医療担当記者は、この問題を、 「多くの地域が抱える構造的な課題の表れ」 だと分析する。
「全国的に病院の老朽化が進んでいますが、厳しい経営環境から建て替えは資金的に容易ではありません。今、既存の病院を守ったとしても、いずれ存続の危機に見舞われる可能性があるのです。新しい病院の参入は、既存の医療機関にとっては脅威に映るかもしれませんが、地域全体で質の高い医療を維持していくためには、新陳代謝も必要だという考え方もあります。 人の命を預かる医療の世界は単純な市場原理だけでは動かないものの、時代の変化や住民のニーズに応えられなければ、地域医療そのものが立ち行かなくなるという現実もある。既存の医療体制をどう守り、どう未来へつないでいくのか。医療界は大きな岐路に立たされているのです」
住民が求める医療の確保と、地域全体の医療体制の持続。吉祥寺の救急病院再開を巡る議論は、二つの重要なテーマを地域に突き付けている。
引用:FRIDAYデジタル

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