リハビリを担当するようになって1年目、遠藤百菜(もな)さんは椎間板(ついかんばん)ヘルニアの手術をしたダックスを任されます。後ろ脚完全麻痺(まひ)の状態から、いったいどこまで良くなるのか。試行錯誤しながら、リハビリに真正面から向き合った日々をご紹介します。
遠藤百菜さんがリハビリテーションに興味を持ったのは、理学療法士を目指す学生だったお姉さんの影響だ。実技試験が近づくと、遠藤さんの人体を使って練習する。
「お姉ちゃんが人で、私が動物のリハビリをしたら面白いかな」。そう考えた遠藤さん、動物の専門学校のリハビリコースに入学。
「リハビリが上手にできたら、私の大好きな大型犬の介護で力を発揮できそう」。ふくらむリハビリへの思い。オーストラリアに留学もして、リハビリ施設のあるペットホテルで経験を積む。
専門学校卒業後は、リハビリに力を入れるいしづか動物病院(大阪府岸和田市)に就職。働き始めて2年目、前任者の退職にともない「リハビリを担当しませんか?」と声がかかる。待ちに待ったリハビリデビューがようやくかなったのだ。
1年ほどたった頃、14歳のメスのミニチュア・ダックスフンドの「ハナ」ちゃんと出会う。ハナちゃんは椎間板ヘルニアを患っていた。症状は重く、後ろの両脚は完全に麻痺。手術をしても大きく改善が見込めるかはわからない。だが、飼い主であるお母さんは手術を希望。「また自分の脚で歩いてほしい」との強い思いが見て取れた。
術後のリハビリを任されたのが遠藤さんだ。それまでも椎間板ヘルニアの犬を担当したことはあった。だが手術直後、いわば一からの状態でかかわるのは初めて。やり方次第で、大きく結果が変わるかもしれない。そう考えるとやる気に火が付いた。
「気合マックスで(笑)、当時持っていた知識を全部、ハナちゃんにつぎ込みました」
術後は数日間入院となる。立つ練習は、早く始めるほどよい。すきをみてはハナちゃんの入院ケージへ脚を運ぶ。おなかの下に手を入れて四本脚で立たせ、麻痺した後ろ脚に体重を乗せてくれるよう、微妙に体を揺らしてみる。
退院の日。お母さんに、家でしてほしい立つ練習やマッサージについて伝えた。知り合ってまだ日が浅いお母さんとのトークは、ちょっぴりぎこちない。
そこからは週に1回のリハビリ通院が始まった。
「でも当時はお母さんに、一緒にリハビリ室に入ってもらう勇気はなくて。ハナちゃんをお預かりしてリハビリをする間、お母さんには車の中で待ってもらっていました」
歩行練習のため、水中トレッドミルにハナちゃんを入れる。だが初めての経験に、怖がって動かない。
脚に麻痺のある子は、しっぽを刺激すると脚を「バタバタッ」と動かす。これを利用して、水中で脚の運動をさせた。さらには水深を変えてみる。水を深くはると、体が完全に浮き上がり、犬かきをするみたいに前脚を大きく動かしてくれた。
手探り状態でのリハビリ3回目。思いがけない光景が目に飛び込んできた。
お母さんから預かったキャリーケースの扉を開けると、ハナちゃんが出てきた。それまで下がりきっていたお尻を上げ、麻痺していた後ろ脚をわずかに動かしながら。「驚きのあまり、ひとりで叫んでしまいました」と、遠藤さんは笑う。
遠藤さんの指導を守り、家でのリハビリに一生懸命に取り組んでくれるお母さん。もちろんハナちゃん自身の頑張りもあり、そこからはみるみる動きが良くなっていった。
期待以上にハマったのがノーズワークだ。ノーズワークは、犬が自由に動きながら、鼻を使っておやつを探し当てるスポーツ。「脚の悪い子のリハビリにもよい」と聞き、試してみることにした。
箱の中におやつを置くと、ハナちゃんは何とか歩いていって、パクッと食べた。
「食べる時に腰を上げてくれたのですが、それは私がすごくやってほしい動きだったんです」
おやつは動物のリハビリを進める効果的なツールとなるが、緊張の強い性格であるハナちゃんは、それまでおやつを口にしなかった。だがこれを機に、病院でおやつが食べられるように。「リハビリがやりやすくなる」。新たな希望の光が射し込んだ。
緊張が解けたのはハナちゃんだけではなかった。
リハビリ終了後、遠藤さんはお母さんに、その日の様子を撮影した動画を見てもらいながら説明を行うことにしていた。同じ目標に向かい言葉を交わす中、いつしか人間同士も打ち解け、信頼を深めていった。
お尻が上がったハナちゃんだが、別の問題が発生した。お尻を上げた姿勢を保とうとすることで、背中が山型に湾曲してしまったのだ。
担当の獣医師に相談し、出てきたアイデアがコルセットの使用だ。だが、コルセットで体を支えることにより、筋肉の衰えを招く恐れもある。「ちょっと、どうかなあ」と、判断に迷う獣医師。そこで遠藤さん、病院にあったコルセットをハナちゃんにつけてみると、姿勢が安定していい具合。
これはいける! ハナちゃんと密に向き合ってきたからこそ確信した。
「撮影した動画を見てもらいながら、『家でつけてもらおうと思うんですけれど、いいですよね』と強く推し(笑)、先生の了承を得ました」
お母さんにコルセットを貸し出し、散歩の時などに限定して使ってもらうよう指導する。適切な使用が功を奏し、湾曲は大幅に改善していった。
リハビリの計画を獣医師が立て、それに沿ってリハビリ担当者が実施しながら、気づいたことを獣医師に報告。必要に応じて計画に変更が加えられる。これが望ましい形だ。
ハナちゃんにかける遠藤さんの熱い思いが、獣医師に積極的にコミュニケーションを取るという行動となって現れた。その結果、獣医師と意思疎通しながらの、理想のリハビリが実現されていた。
だがこの頃、リハビリの効果は停滞していた。
「先生に、『もうこれ以上、良くなるかどうかわからない』と、ちょっと厳しいことを言われたのよ」と、しょんぼり打ち明けるお母さん。
「何とか力になりたくて、『専門学校時代、お世話になった東洋医学の先生がいるから、鍼(はり)治療で良くならないか聞いてみます』と約束しました」
だが先生から返ってきたのは、「手術をしていない犬なら、鍼の効果が出ることは多いけれど、手術をした子で効果があったケースはあまり見たことがない」との答えだった。
年の瀬も押し迫る頃。遠藤さんは勇気を出して、お母さんにこう伝えた。
「年末年始は病院のお休みがあるので、次のリハビリまで期間が少し空きます。家でしてほしいメニューをお教えしたいので、私と一緒にリハビリに入ってもらえますか?」
お母さんと一緒にハナちゃんにマッサージなどをしながら、鍼治療の効果は見込めなさそうだと正直に話した。でもお母さんはこう言ってくれた。
「もうちょっとだけ、リハビリを頑張ってみます。よろしくお願いします」
他にも色んなことを話した。お母さんとこんなにゆっくり話すのは初めてだ。
屋外のドッグランに出る。お母さんが呼ぶと、ハナちゃんはうれしそうに歩いて来た。自信に満ちた、いい表情で。
「お母さんがいる時のハナちゃん、いつもと全然違う」
思わず苦笑いしてしまうほど、リラックスしたハナちゃんがそこにいた。
「あれはすごくいい時間だったな……」
わき目もふらず頑張ってきた人だけに訪れる、満たされた時間が流れていた。
年が明け、リハビリが再始動した。相変わらず水中の歩行訓練は苦手なようなので、陸上のトレッドミルに完全に切り替える。ミルの上で後ろ脚を持ち、着地して地面を蹴る動きをさせる。
地道なリハビリが効いたのか、ハナちゃんは停滞期を抜け出し、目を見張る改善を見せてくれた。少しふらつきは残るけれど、四本の脚をしっかりと動かして歩けるまでになったのだ。低いハードルを設置すると、脚を接触させはするが、またぎながら力強く前進するほどに。
そしてついに、獣医師からうれしい言葉がかかる。
「もう、卒業でいいかもね」
遠藤さんもお母さんも先生も、全員が納得して迎えた卒業。皆でコミュニケーションを取りながら手に入れた、最高のゴールだった――。
じつはハナちゃんの卒業後、オーストラリアへの再留学を予定していた。コロナ禍のため延期になったけれど、近い将来、必ず実現するつもりだ。
「いつか『リハビリといえば遠藤さん』と言ってもらえるような存在になりたいです。そのためにはもっともっと勉強しないと」
一進一退を繰り返しながら、ハナちゃんと歩んだ5カ月間は、遠藤さんを大きく成長させた。ハナちゃんがくれた達成感が、遠藤さんの未来を輝かせている。
引用:sippo
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