18歳で頚椎を損傷。車椅子CEOが語る「デジタルツイン」の世界

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18歳で頚椎を損傷。車椅子CEOが語る「デジタルツイン」の世界

Jul 16, 2022

クリエイティブカンパニー「1→10(ワントゥーテン)」代表 澤邊芳明

2020年に始まった新型コロナウイルスのパンデミックによる行動制限は、多くの人々にとって未曽有の経験だった。この時期、近未来を実現するクリエイティブカンパニー「1→10(ワントゥーテン)」の代表である澤邊芳明は強烈なデジャブを感じたという。

「籠の中の鳥のようなこの状態は、自分の18歳の頃とまったくいっしょだと思いました。全人類があの時の僕と同じ体験をしているのだと」

澤邊が振り返る「あの時」とはいったい何を指しているのか。2020年にシンガポールのセントーサ島で常設型インタラクティブランドアート「マジカルショア/Magical Shores」を発表し、市川海老蔵がエグゼクティブアドバイザーを務める「ジャパネスクプロジェクト」も仕掛けるワントゥーテンを率いる異色の経営者が、自らの波乱に満ちたこれまでの歩みについて語る。

バイク事故に遭い頚椎を損傷

1992年春、18歳のとき、京都工芸繊維大学に入学したばかりの澤邊はバイク事故に遭い、頚椎を損傷してしまう。その結果、一命はとりとめたものの、首から下が動かせない、移動には車椅子が必要な身体になってしまった。

「それまで僕はスポーツが大好きだったし、活発なタイプでした。しかも受験を終えて遊びたいさかりの時でした。それが事故を境にして一変、自分の意思ではまったく動けずに、半年間も病室で暮らすことになったんです。その後にリハビリが始まってからも、基本的には病院やリハビリセンターにこもりっきりでした」

当初は再び自由に動けるようになると信じてリハビリに取り組んでいた澤邊だったが、やがて治癒する見込みがないことを知らされ、絶望の淵に立たされる。だが悩み抜いた果てに発想を転換して、日常生活をとりもどす努力を始めたという。

「自分としてはもちろん、一生このままだということは受け入れたくありませんでした。けれど、治る治らないという問題はとりあえず置いておいて、本来、自分が続けていたはずの生活をどうやって実現できるか、それを考えるようにしたんです。

僕の場合は、大学に入学はしていたので、まずは何年かけてもいいから通い、卒業することを目標にしました。すると、この身体でどうやって通学するのか、それには何が必要なのか、具体的な課題がどんどん出てくるのです。それらに取り組んでいくことで、ようやく前向きになれました」



その取り組みは並大抵なことではなかったが、そこから澤邊には思わぬ未来が拓けていった。筆記用具を扱うこともできないので、澤邊には代わりのツールが必要だった。そこで担当の作業療法士に頼み、パソコンの使い方を教わり始めた澤邊は、大きな衝撃を受ける。

「先っぽに消しゴムをつけた菜箸を咥えてキーをひとつずつ叩くという、他の人が見たらじれったいような操作しかできないのですが、ディスプレイのなかには自由な空間が広がっていました。

最初に感動したのは、実はRPG仕様のゲームだったんですけど(笑)。ドット絵で描かれた東京の街を、対戦相手を求めて自由に歩きまわれるんです。リアルの世界では人の手を借りないと姿勢を変えることもできない僕がです。それだけで嬉しかったですね。パソコンにものすごい可能性を感じ、一気にのめりこんでいきました」

事故がもたらした不自由さゆえに、誰よりも的確に情報技術の可能性を見抜いていた澤邊は、いま風に言えばデジタルシフトのアーリーアダプターだった。

代筆ボランティアの募集サイト

入院やリハビリなどがあり、いったん澤邊は大学を休学する。実際に復学したのは、事故から2年半後のことだった。その頃から、漠然とコンピューターを使った仕事で食べていきたいと思うようになっていたという。

野心を胸に秘めた澤邊青年にとって、時代は完全に追い風だった。復学から1年後の1995年秋には、「Windows95」の発売によりインターネットが一気に身近になる。アメリカに発したインターネット・バブルが日本でも始まろうとしていた。澤邊も当然のように、インターネットという可能性に満ちた世界に魅せられてゆく。

「いまでは考えられないような貧弱な回線でしたが、テキストだけじゃなく、画像や音声も備えたウェブサイトが続々と誕生していった時期です。僕もこういうのやりたいなと思って、HTML言語を独学し始めました。

最初につくったウェブサイトは、講義のノートをとってくれる代筆ボランティアを募集するサイトでした。その次に、こんどは旅行情報を自由に投稿できるサイトをつくりました。いまでいう口コミですね。好評でしたよ。そうこうするうちに、知り合いからサイト制作の依頼がきたのです。それで初めて報酬を得て、これは仕事にできそうだと思うようになりました」

そして事故から5年半が経った1997年10月、澤邊は同社の前身となるウェブサイト制作会社ワントゥーテンデザインを立ち上げたのだった。

「起業当時は、週3日大学に行き、残りの4日を仕事に使うというかなりハードな生活でした。クライアントには、一切、自分の身体のことは明かしませんでした。バイアスのかかった見方をされたくなかったのです。

京都に多かったワンマンオーナーの中小企業が『そろそろうちもウェブサイトが欲しいな』と動き始めた頃で、事業は順調に伸びていきました。営業を雇うようになっても、企画やデザイン、プログラミングは、すべて僕が1人でやっていました」

晴れて大学を卒業した2001年には、有限会社としてワントゥーテンを法人登記する。それからまもなく、澤邊の意識に大きな変化が訪れた。

「もともと僕はつくり手気質が強く、アルバイトを雇っても、結局、自分がやったほうが早く済むということが多々あり、会社としての能率が上がらず、壁にぶつかっていました。そんな時に父から『会社を経営する以上は、自分が手を動かした以上の利益を得ないといけない』と言われ、ハッと気づきました。そこからですね。制作ではなく、経営やマネジメントを考えるようになったのは」

澤邊の会社は、その後、関西のITベンチャーの雄として急成長を遂げていく。東京のクライアントとの仕事も増えて、2007年には品川に東京オフィスを開設する。

リアルの場での体験づくり

東京オフィスの入口には、現在、カンヌライオンズをはじめとする名だたる広告賞のトロフィーがずらりと並んでいる。クリエイティブを志す者なら誰もがめざす栄冠だが、1つ1つの受賞の由来をたずねると、澤邊は「いやあ、もう忘れてます」と笑って受け流す。

「うちは2010年頃まではデジタル広告をメインにやっていたのですが、その間ずっとIT自体が発展を続けていました。VRとかプロジェクションマッピングとか新しい技術が実用化され、デジタル表現の領域が、パソコンのディスプレイから飛び出して、リアルの場にも広がっていったのです。

その流れを見ていると、そっちのほうが面白そうだと思えてくる。しかも2011年には東日本大震災があって、一時的に広告業界全体が(自粛のため)冷えこみました。そこで社員たちのモチベーションも訊いて考えた結果、リアルな空間にデジタル技術を活かした演出を施す、体験型のコンテンツづくりに路線変更しました。だからちょうど10年前のことです」

これまで開発してきたなかでも、澤邊が特に強い思い入れを持っているコンテンツが、東京オフィスに展示されている。車いすロードレースを疑似体験できる「サイバーウィル」の実機と、審判員なしでボッチャを手軽にプレイできる「サイバーボッチャ」だ。

「特にボッチャは、僕にとっては大事なパラスポーツです。大学の卒業要件には体育実技の単位もあったんですが、カリキュラムに用意されていたどのスポーツもこの身体ではできません。そんなときにボッチャと出合い、おかげで単位がとれたという思い出があります。

2016年にブラジルのリオデジャネイロでオリンピック・パラリンピックが開催されましたが、その時点でのボッチャの認知度は、日本ではたった2%でした。東京オリ・パラ組織委員会のアドバイザーをしていたこともあり、もっとパラスポーツを知ってもらいたいと思っていました。

それには体験してもらうのがいちばんなのです。ボッチャの場合は、難しい判定ができる審判員が必要なので、そのせいで体験のハードルが上がっているのではないかと思いました。だったら自動判定する装置をつくろう、そう考えて開発したのがこの『サイバーボッチャ』です」

コロナ禍からの教訓

このような体験型コンテンツづくりに「全振りしていた」というワントゥーテンが、イベントが軒並み中止となったコロナ禍で大打撃をこうむるのは必定だった。

「本当につらかったです。オリンピック関連の案件も、インバウンド需要を見込んで準備していた企画もたくさんあったのに、それが全部消えてしまいましたから。コロナ禍で相対的に伸びたのはウェブ広告とアプリ製作、あとは通販でした。どれもうちがやっていなかった分野だったから、厳しかったですね。一時は190名近くいた社員はおよそ120名にまで減ってしまいました。

それが今年の3月頃からようやく空気が変わって、案件もたくさん来てるし、この2年間でリアルに依存しないコンテンツのほうでも打ち手を講じてきて、それが実を結びつつあります」

もちろん絶望の淵をのぞき込んできた澤邊のこと、転んでもただでは起きない。コロナ禍での気づきを活かして、いまは新たなフィールドを開拓しているところだと語る。

「今度のパンデミックで人類は『こんなことが起こりうるんだ』と学んだので、これからは予定通り進まないときの『プランB』を用意してゆくのが大事だと考えています。マーク・ザッカーバーグがメタバースを始めたのもおそらくそういう理由でしょう。逃げ場をどこかにつくっておかないと大変なことになる。それはもちろん今後のビジネスチャンスにつながってくるでしょう。

過去の経験や技術資産を活かし、いま力を入れているのは「デジタルツイン」。すべての都市や町に対して物理空間に対応するバーチャル空間が存在し、どんな境遇の人でもアバターを使って、どこへでも思い通りに、そして低コストで訪れることができる……そんな未来をつくりたいです。

例えば、個人都合や社会情勢でリアルな旅行ができないときには、バーチャル空間の『ツインシティ』に旅をして、リアル空間からアバターを見ている現地の人と話したりできれば、行った気分になれるじゃないですか。で、いざ行けるようになったらリアルでも行けばいい。その未来が見えたのがワントゥーテンの今回の進化ですね」

経営者の意識を持つようになって20年。澤邊芳明はどこにゴールを設定しているのだろうか。

「それはやっぱり、僕がいなくても全スタッフがビジョンを体現できるようになることですね。あとはワントゥーテンを誰もが知っている会社にしたいです。これまでは『隠れた名店』でしたけど、それはもういいかなって」

澤邊芳明(さわべ・よしあき)◎1973年東京都生まれ。関西の奈良市で育ち、国立大学法人京都工芸繊維大学卒業。1→10(ワントゥーテン)代表取締役社長CEO。18歳でバイク事故に遭い、手足をいっさい動かせないなか、独学でパソコン技術を習得。大学復学後の24歳で創業。総勢約120名からなる1→10は、現在、XRとAIに強みを持つクリエイティブカンパニーとして注目されている。一般社団法人日本ボッチャ協会代表理事、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アドバイザーなどを務める。初の著書「ポジティブスイッチ 絶望からの思考革命」を8月1日に小学館から発売予定。

1→10(ワントゥーテン)◎ https://www.1-10.com/

引用:Forbos

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