その日」は突然やってきた。 記者の母(83歳・要介護5)の話だ。東京都内の老人保健施設で暮らしていた。ところが2月に40度近い高熱が続き、近くにある急性期病院に救急搬送された。肺炎だった。搬送直後は意識がぼんやりとして危険な状態だったが、その後は発語が増えるまでに回復した。 【データ】誤嚥性肺炎にかかりやすい性別や年代は?
しかし問題はここからだった。入院から半月ぐらい経った3月上旬、担当医から「経口摂取は危険」と言い渡された。誤嚥(ごえん)のリスクがあるという。もともと母は2年前から食形態を「ミキサー食」にしていたが、ゼリー一口すら飲み込めなくなってしまった。 医師の勧めでその後、嚥下(えんげ)内視鏡検査もした。それをもとに、最終的に「経口摂取不可」の判断が下されて、3月後半に「禁食」となった。 つまり今後は何かしらの延命治療をするか、何もせず、そう長くない期間で訪れるであろう死を待つかの判断をしなければならなくなった。 父と姉に相談した。父(要介護3)は認知症もあり、施設暮らしで母に会うことはできないが、「命が助かるかもしれない方法があるなら、それを選んでほしい」としっかりとした口調で私に言った。姉も「このまま別れたくない」と言う。 これまで一番近くで母を看てきた私は、「母には穏やかに逝ってほしい」という思いでいたが、いきなり訪れた「その日」に戸惑った。 母がひっそり病院で旅立つのだけは避けたかったし、食べられないという事実を受け入れられなかった。「あんなに食いしん坊だった母が食べられないはずがない」 口から食べるという可能性を捨てきれず、そのためにも、とにかく生きていてほしかった。 延命を選んだ──。 「本人にも確認したい」と医師に頼むと、認知症の影響で意味はわからないと思うと言われた。でも聞いた。 「もう少し生きていてほしいので腕から栄養を入れたいと思っている。延命になるけど、いいかな」 すると母はこう答えた。
「いいわよ、したいなら」 その前に、鼻から管を入れる経鼻経管栄養を試した。簡易で、不要になればすぐに外せると聞いたからだ。しかし母にとっては大きな苦痛だったようで、抵抗感を示したので途中でやめることになった。 胃から固形物などを入れる胃ろうも経管栄養の一つだが、「胃ろうでの延命はしないでね」と母がよく言っていたのを覚えていたので選択肢に入れなかった。結果、母は4月7日、腕の静脈に管を入れて栄養を取る、中心静脈栄養を始めた。 口から一切食べ物も飲み物もとらなくなって2カ月近く経つ(5月16日現在)が、母は24時間腕につながれた管から取る栄養だけで命をつないでいる。 相談した医療・介護関係者の多くは、「延命はたんやむくみなどで苦しみが増える」と消極的だった。でも、私は今回の選択を後悔していない。生きていてほしいという気持ちが勝っていたからだ。 ただ母からすればどうなのだろう。本当に良かったのだろうか──。 ここから先は嚥下や終末期医療に詳しい医師らと一緒に考えていきたい。 * * * 今回、あきらめたくなかった「口から食べる」という可能性。延命を選んだ理由の一つもここにあった。 生きる力を引き出すための「口から食べるプロジェクト」に取り組む桜十字病院(熊本市)の医師、安田広樹さんはこう話す。 「肺炎を何回も繰り返して、つばも飲み込めない、意識レベルがすごく低い、という人以外は、ほぼほぼダメと考えることはないです。唾液(だえき)は1日に1~1.5リットルぐらい出ると言われています。1時間に10回も20回も吸引している方なんてそうそういないですよね。意識がしっかりしていて、多少の唾液が飲み込めていれば、少なくとも食べられる可能性はあります」 しかし、医療の現場では、誤嚥性肺炎で経口摂取が難しいと判断される患者は非常に多いという。 40年間、嚥下と摂食について取り組んでいる看護師(日本摂食嚥下リハビリテーション学会認定士)で、「口から食べる幸せを守る会」理事長の小山珠美さんは、 「医師は客観的な評価をするため、嚥下造影検査や嚥下内視鏡検査を重視します。なかには、この検査で口から食べることを禁止される場合もあります」 と話す。現在、急性期病院に勤めているが、「急性期病院で口から食べる訓練に取り組む病院は、まだ少ないです」という。
急性期病院の場合、在院日数も長くはなく、嚥下の回復に至るための訓練には消極的なのだ。 では、どうすればいいのか。小山さんはこう話す。 「大事なのは患者の家族も勉強して、ある程度の知識を得ておくこと。本当に経口摂取はダメなのか、と検査をしているところを見せてもらう。実際の場面に自分も同席することが大事。ただ、同席しても何をどう見ればいいのかわからない。正しい検査をしているのか、という評価すらできない。同席するからには安全な嚥下の知識を事前に得ておくことが必要です」 ■悔いのない決断できるのか? 小山さんは、食べる支援に必要な要素を専門家でなくても評価でき、どのようにケアすれば食べる力が改善していくのかという視点から状態を診断する評価ツール「KTバランスチャート(R)」を作った。 「口から食べる」ための要素を医学的視点だけでなく、食べる意欲や口腔(こうくう)状態、認知機能や食事動作、姿勢など13項目に分類。それぞれの項目を5段階で評価し、全体のバランスを確認する。不足している部分はケアやリハビリテーションを充実し、伸ばしたい点や強みのアプローチへとつなげていくという。 前出の安田さんは、 「それまで食べられていた方がいきなり肺炎を起こしたからといって、急に人生の最期っていうふうに言われてしまうのもおかしな話だと思います。回復するために何かチャレンジして、それでもうまくいかないということであれば手を引かざるを得ないということはあると思うんです」 との見方だ。 「『看取り期です』と言われたからと、うちの病院に来られる患者さんはいます。でも食べられるようになって退院される方も結構な数いらっしゃいます。心不全と肺炎になった96歳の方が、ご家族の『最後に何か好きなものを一口でも』との思いでうちに来られて、結局その後、3食食べられるようになって天寿を全うされました。『看取り期です』と言われてから2年近くお元気だったそうです」
一方、経管栄養にしたとしても、それがすぐに終末期を意味するのかというとそういうわけではない。 「胃ろうをして栄養を補給しながら口から食べるための取り組みをして、食べられるようになった方もいらっしゃいます。経管栄養をしたことで元気になっていけば、それは回復の過程にあると考えます。経管栄養が本人にとって苦痛だったり、ぐったりしてしまったりということであれば、正直難しいのかもしれないと考えます」(安田さん) 朝日新聞の元論説委員で国際医療福祉大学大学院教授の大熊由紀子さんは、身内を延命後に看取った経験がある。 「経管栄養で延命をすることへの批判が強かった時期もありましたが、叔母は胃ろうをして10年近く、住み慣れた家で穏やかに過ごしました。家族、皆が生きていてほしかった。だから胃ろうを選びました」 大熊さんは隣のマンションに一人で暮らす認知症の母を在宅ケアで支えた経験も持つ。退院したときはオムツで寝たきり。それが、福祉用具やヘルパーの助けで歩けるようになり、悪性リンパ腫と診断されてから5年、95歳まで自宅で過ごし、穏やかに息を引き取ったという。(大崎百紀) ※週刊朝日 2023年6月2日号より抜粋
引用:AERA.dot
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