車いすの孫と買い物がしたい 歩けなかった男性は70歳で野球に夢中

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車いすの孫と買い物がしたい 歩けなかった男性は70歳で野球に夢中

May 15, 2023

「ナイスキャッチ!」  「もう1回行こう!」  澄んだ青空の下、河川敷の野球グラウンドに威勢の良い声が響く。 【画像】ノック練習で守備位置につく岡田秀夫さん  香川県の障害者野球チーム「香川チャレンジャーズ」が、丸亀市内でノックをしていた。  肩が上がらず下手投げで送球する人や、半身マヒのため片手で捕球し、すぐにグラブを外してその手でボールを投げる人。その中で、ひときわ機敏に動く選手がいた。  三塁手の岡田秀夫さん(70)。ライン際の速いボールに反応して捕球し、鍛え上げられた上半身を使って素早く一塁に投げる。足は大きく広げられないが、細かいステップで次々にボールをグラブに収める。  「難しい打球ほどアウトにできたらうれしい。体はえらい(しんどい)けどね」  10年ほど前までは想像もできない姿だ。  岡田さんは生まれつき股関節の骨がうまくはまらず、亜脱臼のようになっていた。  運動は問題なくできていたつもりだったが、中学3年生の時、学校の先生に「走り方がおかしい」と指摘され、医師にかかった。  すぐに手術を受けるように言われた。両脚の付け根にある、脚の受け皿となる骨がすり減っていた。左脚の骨は背中付近まで突き出て、その影響で左脚は右脚より5センチも短くなっていたのだ。左脚の骨を削る手術を受けた。  術後、痛みとぎこちない歩き方が残った。夜中に痛みに襲われて目覚めることも幾度もあった。寝る向きを色々試しても楽な姿勢は見つからなかった。  大人になっても、痛みが出ては家族にマッサージしてもらってまぎらわす日々。手術から30年以上経った50歳で、痛みでいよいよ歩くことが難しくなった。杖をついてやっとの状態で、100メートルも歩き続けられなかった。  この年、待望の初孫が生まれた。林凜々子さん(20)。長女の胎内で4千グラムを超え、難産だった。  生まれたばかりの女の子は元気がなかった。脳性小児マヒだった。手足を自由に動かせない。医者からは「一生寝たきりかもしれない」と言われた。  「正直、一緒に死のうかと思った時もある」。岡田さんはそう振り返る。  だが、凜々子さんは頑張っていた。  話すことが難しくても、小学生のころからタブレットで文字を打って意思を伝える練習を始めた。中学生になると、電動車いすで外に出られるまでになった。  歩けない岡田さんに、ある思いが募り始めた。  「孫の車いすを押して散歩に出かけたい」  「ショッピングセンターへ連れて行って、一緒に買い物をして回りたい」  岡田さんはもともと「にぎやかな場所が好き」。ただ、痛みがひどくなってからは、一緒に外出しても着いたら真っ先に椅子を探し、家族が買い物を終えるのを待つのが常だった。好きだった外出が、寂しさを感じる時間になっていた。  60歳を前にして、人工股関節に置き換える手術を受けると決めた。  病院からは、手術後早く歩けるようになるには、事前に筋力を付けておくことが大事だと言われた。  理学療法士に提案されたメニューで、可動域の狭さを補うための筋力トレーニングが始まった。座った状態でつま先を立て、ひざを上げる。足首に2キロの重りをつけ、太ももを上げる。これらを毎日5秒、20回。  筋トレ自体、学生時代以来でスタミナがない。股関節も痛み、「もう十分鍛えたから明日からはしなくて大丈夫だよ」とどこからか声をかけられる夢も見た。「大きな声は出るし、必死で顔もぐちゃぐちゃ。家族に見られていたら、情けなくて続かんですよ」。それでも、孫への思いでやり通した。  筋トレのおかげで、北海道に渡って受けた手術の10日後には歩けるようになった。  念願だった凜々子さんとの買い物の日。凜々子さんは、ジーパンやセーターを選んで着こなすおしゃれさんだった。小さなカゴをひざの上に置いて、うれしそうに好きな食べ物を入れていく姿がかわいかった。一緒に歩いて回ったからこそ知れた喜びがあった。「元気で明るい様子に、僕もたくさん救われた」  さらに筋トレのメニューを増やした。うつぶせの状態から上体を上げる腕立て伏せを50回など、テレビで見た方法で鍛えた。  2020年10月、香川県内で障害者野球の体験会が開かれると、ケーブルテレビで知った。「これだ」。すぐに電話をかけて申し込んだ。  「見る専門」だった野球。最初は打球を追うこともできなかった。ここでも体を鍛えたときの粘り強さが出た。  週に1度、仕事の後に車で片道約40分かけて練習場所に向かい、友人に付き合ってもらって2時間、キャッチボールとノックの特訓を1年続けた。チームの代表を務める元プロ野球・広島東洋カープの山中達也さん(33)は、「上達度合いはチームでも1、2位を争う」と舌を巻く。  古希を過ぎ、周囲からは冗談交じりに「いつやめてもいいように後継者を連れてきてよ」と言われる。でもまだまだやる気だ。  「野球をする週末のために平日の5日間で調整しとるようなもん。生きがいやけん、できる限りは5年でも10年でも続けたい」  凜々子さんも頻繁に練習を訪れ、県外での試合にも出かけて応援している。  「すごい頑張っとったよ」。河川敷での練習後、凜々子さんが楽しそうに声をかけた。「そうかぁ? ありがとう」。岡田さんの顔からこの日一番の笑みがこぼれた。(谷瞳児)

引用:朝日新聞

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