筆者はこれまで、このコラムで「野球肘検診」について何度かレポートをしてきた。高校野球、甲子園と直結していた日本の少年野球では、多くのチームが「勝利至上主義」で指導をしていた。このために成長途上の子供が、「野球肘」などの野球障害で苦しみ、野球を断念する例が後を絶たなかったのだ。
少年の野球障害に最初に気が付いたのはスポーツドクター(整形外科医)だった。2018年に刊行された『野球肘検診ガイドブック』(文光堂)によると、1979年には徳島大学整形外科が県下の少年野球チームの調査を開始した。それからすでに40年以上の歳月が経っている。この間、医学界は警鐘を鳴らし続けてきたが、野球界は無頓着だった。野球競技人口が激減し、特に少年野球のレベルでチーム、リーグ運営が成り立たないような事態になってようやく各地で「野球肘検診」が行われるようになった。
現在は、新潟県、兵庫県、群馬県など県単位で大規模な「野球肘検診」が行われている。また少年硬式野球のポニーリーグは昨年、関東地区で連盟主催の「野球肘検診」を実施している。
しかし「野球肘検診」は、ほとんどが小中学校だ。大規模な大会を催し、競技人口も多い高校野球では、これまで高野連が関与するような大規模な「野球肘検診」は行ってこなかった。
2018年に発表された日本高野連「高校野球200年構想」には、以下の項目がある。
残念ながら、この部分は5年経過した現在も、あまり進捗は見られなかった。いくら200年構想とは言え【けが予防】は喫緊の課題であるはずだ。コロナ禍によって日本高野連、各県高野連は経済的にも苦境に陥ったために、こうした活動まで手が回らなかったのだ。
ようやく、という感じで2022年12月18日、兵庫県高野連と兵庫野球指導者会が共催する「第1回兵庫県高等学校野球連盟 野球肘検診」が、兵庫県加古川市の兵庫大学体育館で行われた。
当日は、兵庫県高野連に加盟する160校が参加。各校「投手2人」が、スポーツドクターや理学療法士によって肘のエコー検査や、可動域のチェック、肩、腰の検査などを受けた。
「投手2人」というのは、やや物足りない感もあるが、兵庫県の高校硬式野球部員は2022年時点で5915人もいる。これだけの部員を一度に検診するのは、時間的にも費用的にもまだ難しいのだ。現時点では、県高野連が野球肘検診に踏み出したことに意味があると言えよう。
主催者側の兵庫県高野連指導者委員長の徳山範夫氏(兵庫県立須磨友が丘高校監督)は、開催までの経緯を次のように語る。
「野球人口が減少していますから、食い止めないといけないと思っていますし、時代の流れとして高校球界もアクションを起こしていかないと、とは思っていました。とはいっても県レベルで実施するのは、相当ハードルは高かったですね。当初は500円程度の参加費を徴収することも考えたのですが、第1回でうまくいかなかったら次はないという意識もあり、100%成功させるためにも、無料にしました。表立って反対の声はありませんでした。兵庫県では指導者委員会という集まりで20年以上監督が集まって話し合う機会を持ってきましたから、指導者同士の意識の共有はできていたと思います」
兵庫県高野連の髙橋滋理事長(兵庫県立加古川東高校監督)は話す。
「公式戦の延長戦が18回から15回になり、タイブレークが実施されるなど選手の健康管理の意識が高まる中で、ぜひやりたいなと思っていました。すでに学校単位では検診を実施しているところもありますし、理学療法士がトレーナーになっている私学もあります。でも、普通の公立校ではなかなかそうはいかない。
今回、私は『全加盟校参加ですよ』という案内を出して、返事が遅れたところもあり、意識が低い学校もあるのかなと思いましたが、全校参加ができてほっとしました。こうした野球肘検診は、定期的に実施することが大事です。また野球障害は小学校、中学校の段階から発生しますから、そうした下の世代との交流も大事だと思います」
この検診が注目されるのは「高校生世代初の大規模検診」だからだ。
小中学校の野球肘検診で見つかる「野球肘」は、肘の内側の「内側上顆障害(リトルリーグ肘)」と外側の「離断性骨軟骨炎(OCD)」および後方の「骨端線障害」だ。このうちリトルリーグ肘と骨端線障害は一定期間ノースローをするなり養生をすれば治癒するが、OCDは重症化すれば手術が必要になるし、手術をしても肘が曲がらなくなるなど深刻な障害が残る可能性がある。OCDは受検者の5%程度だが、いかに早い段階で見つけて適切な処置をするかが最大の課題だ。
しかし高校生になると、OCDはほとんど見つからなくなり、代わって「内側側副靱帯損傷」などプロ野球選手と同じ障害がみつかるようになる。
今回の検診を担当した神戸大学大学院医学研究科整形外科学分野の美舩泰助教は、「野球肘検診」の意義を語る。
「今回の参加者は318人、うち病院への紹介は8人(2.5%)、内訳は内側側副靱帯4人、後方障害5人、OCD遺残2人(重複あり)です。それぞれ話をきくと皆一様に、痛みは感じていたが、投げることができるので続けている、ということでした。野球にかかわらず、軽微な痛みを我慢して競技を継続することは決して珍しいことではないと思います。しかし、我慢しながら続けることで悪化したり、手術を要する病態にまで進行する可能性もあるので、指導者による定期的なチェックや、痛みがあることを言いやすい環境は重要だと感じました。
今回のような検診があれば、日頃痛みを言い出しにくい環境・立場の選手や、自身の痛みに関心の低い選手の障害を検出することができると思います。また、今回は肘だけでなく、下肢、体幹、上肢と全身の診察を行い、そこでコンディション不良箇所を指摘し、各選手の状態に応じたコンディショニング、リハビリ指導を行ったので、個々へのアプローチもできたと思います」
高校野球ではこれまでも整形外科医や理学療法士によって肘、肩、腰の検診やチェックは行われてきた。しかし多くは「大会前のメディカルチェック」だった。医師は検診をして異状が見つかっても、よほどのことがない限り、ドクターストップをかけることはなかった。
ある甲子園ドクターは筆者に「選手たちは人生をかけて試合に出ている。少々故障する懸念があるからと言っても軽々しくストップはかけられない。大会期間中故障しなければそれでいい」と言い切った。端的に言えば高校野球の医療体制も「甲子園至上主義」に支配されていたと言うことになろう。
さらに美舩助教は少年野球と高校野球の「野球肘検診」の違いについてこう語った。
「少年野球検診の主目的はOCDの早期発見です。OCD初期は無症状ですので、手術を要さない初期の段階でOCDを発見するには検診がどうしても必要です。われわれは検診時にリハビリやリズム体操、投球計測など色々と行っていますが、最低限であればエコーによるOCD検診だけでもいいくらいです。
一方で、高校生の検診の目的は、全身のメディカルチェックです。意義としては社会人やプロ野球チームが入団時やシーズンオフに行うメディカルチェックと同じです。まず医師による診察で、全身状態のチェックを行います。次にエコーによる肘関節のチェック。そこで指摘されたコンディション不良個所や、異常所見箇所を基に、理学療法士が各選手に必要なコンディショニング、リハビリ方法を指導します。その中で、病院での検査が必要と思われる選手は紹介状を渡します。このように、全身を通してチェックを行わないと、障害の原因が見えてきませんので、小学生のようにエコーだけでは検診としては不十分です」
さらにこう解説する。
「小学生と異なり、OCDが発見されても遺残(OCDはあったが、発見されず、悪化もせず、運よくそのまま競技を続けられた選手、または保存加療である程度回復し、少し所見が残っているなど)で、大きな問題となる選手はいませんでした。年齢的にもOCDが発症する時期ではなく、骨成長が完成しつつある時期で、肘頭症状(疲労骨折や骨棘障害)や内側側副靭帯の症状が多かったです。
内側側副靭帯損傷では、小学生時代に内上顆の剥離や骨不整が起こっていたであろう選手に症状があることが多く、やはり内側側副靭帯付着部が正常ではないので、障害を発生しやすい傾向はありますが、内上顆の異常が必ず内側側副靭帯の痛みにつながるわけではありませんので、そこは投球指導やコンディショニングでカバーできることも多いと思います。そのため、個々の選手に対するリハビリ指導ができたことは良かったと思います。
今回は初の試みで、1校2人までと人数もかなり制限しましたが、理想的には全1年生投手の検診ができればと思っています。高野連からは来年以降も続けたいとの希望も伺っていますので、少しずつ検診できる人数を増やしていく予定です」
今回の兵庫県高野連野球肘検診は、「兵庫野球肘検診」の主催者で、毎年1000人近くの小中学生の検診を実施してきた特定非営利活動法人兵庫野球指導者会の谷中康夫代表が共催者になったことで実現した。
谷中氏の取り組みは、以前このコラムで紹介したが、小中学校で大規模な検診を実施しても、その子供たちが高校へ上がってからまともな検診が受けられないことに、不安を感じていたという。
会場には日本高野連の関係者も視察に訪れていた。経済的な問題もあって、野球肘検診は、全国ですぐに実現するものではないが、高校野球を「安全で将来に禍根を残さないスポーツ」として存続させるためにも、全国レベルで導入を検討すべき時期に来ていると言えよう。
引用:東洋経済オンライン
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