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頭の中にある言葉と、口から出てくる言葉がぜんぜん違う…左脳の4分の1が壊死、失語症になった私を待っていた「6カ月の壁」

Apr 24, 2022

脳疾患には「6カ月の壁」というものがある。発症から6カ月を過ぎれば、以後、大きな回復は望めないというのが定説なのだ。だから入院は90日間しか認められなかった。

言葉数はどんどん増えていったが、意思疎通は難しい

2009年12月、くも膜下出血の手術を受けた私は、左脳の4分の1が壊死して重い失語症患者になり、その上、右手や右足の機能にも障害が出ました。

でも、集中治療室から一般病棟に移った頃には、自分は幸運だったと感じ始めました。

脳卒中になると、下半身不随になる人が多いのですが、幸い、私の右足の障害は軽く、歩くことができたのです。食事もおかゆからうどんになり、少しずつおいしく感じられるようになっていきました。

記録魔の旦那が、2010年の正月を自宅で過ごした私との会話を録音していたので、ご紹介しましょう。

旦那 最近、あなたの口から出てくる語彙がどんどん増えているのは素晴らしいね。でもまだ、頭の中にある単語と、実際に口から出てくる単語がほとんど一致してない。

あんまり考えないでしゃべってると、コウスケ(息子の名前。仮名)とかチヒロ(娘の名前。仮名)とかがポロッと出てくるけど、「おっ、すごいじゃん、もう一回言ってみて」と俺に言われても出てこない。そこらへんがおもしろい。脳の使う箇所が違うんだろうね。

じゃあちょっとインタビューしましょう。いま、あなたの目の前でしゃべってるこの人は誰ですか?

清水 おせいさん。

旦那 おせいさんじゃないよ(笑)。

清水 おねえさん。

旦那 おねえさんでもない。

清水 うーんと、違うもの。

旦那 ハハハ。違うものっていうのはいいね。

言葉数はどんどん増えていきましたが、私の話はますます訳がわからなくなっていますね。

この頃になると、私は、相手が何を言っているかを大体理解できるようになりました。頭には言葉も浮かんでいます。でも、実際に口から出てくる言葉は全然違っているので、意思疎通が難しいのです。

それでも家族と話すのはとても楽しく、週末に自宅に帰るのを、私は心待ちにしていました。

脳疾患の「6カ月の壁」

自宅近くの大学病院から、クルマで50分ほどの距離にあるK市のT病院に転院したのは、2010年1月半ばのこと。くも膜下出血の手術から1カ月半が過ぎた頃です(当時の私には時間の感覚はほとんどありません)。ここは全国でも指折りの素晴らしいリハビリテーション専門病院で、施設も体制も充実しているので、入院できたのはラッキーでした。

ただし、入院は90日間限定。リハビリを必要とする患者は多く、病床数にも、リハビリを行う言語聴覚士、理学療法士の人数にも限りがあるからです。脳疾患には「6カ月の壁」というものがあり、発症から6カ月を過ぎれば、以後、大きな回復は望めないというのが定説です。

回復の程度がどうであれ、4月の半ばの退院は最初から決まっています。限られた期間に、できる限り多くのリハビリ訓練を行い、日常生活への復帰を目指すのです。

初めて病院を訪れた日、私はトイレに行きたくなり、ひとりで女子トイレに入ってみました。でも、用を足したあと、レバーの位置がわからず、結局そのまま出てきてしまって、申し訳ないことをしました。

右手を使うのは脳梗塞後、初めて

主治医は感じのいい女医さん。私がもらったカルテには、私の病名は、くも膜下出血、破裂脳動脈瘤、脳梗塞とありました。症状は右上下肢不全麻痺、失語症と書いてあるのですが、当時の私にはもちろん読めません。

それどころか、初めて自分の病室に案内された時、ベッドに貼られている自分の名前と主治医の先生の名前さえ読めませんでした。私にわかるのは、これは漢字であって数字ではないということ。そして、自分にはまったく理解できないということくらいです。

夕方には、担当スタッフ(主治医の先生、看護師、理学療法士、言語聴覚士、作業療法士)の全員が集合してくれました。皆さんにこやかで感じのいい方ばかり。とても安心しました。

時計もカレンダーも読めない私の、1日のスケジュール

でも私にはひとつだけ心配なことがありました。転院にあたって私の最大の希望は「これまで通り週末は自宅に帰りたい」ということだったのですが、そのことが旦那になかなか伝わらなかったのです。繰り返し説明した末に、ようやく理解してくれた旦那が、私の希望を主治医の先生に伝え、許可をもらえた時は、心からホッとしました。

こうして私の一週間のスケジュールが決まりました。

月曜日から土曜日の昼までは病院でリハビリ。土曜の昼には旦那が迎えにきてくれるので、週末を自宅で子供たちと過ごすことができます。病院に戻るのは日曜日の夜。自宅からT病院まではクルマで50分ほどの距離なので、ちょうどいい感じです。

病院の朝は早く、まだ暗いうちから看護師さんが体温や血圧の測定にやってきます。時計もカレンダーも読めない私に正確な時間はわかりませんが、たぶん午前7時くらいだったと思います。

私の病室があるのは、西病棟3階にある脳神経内科。病室は4人部屋ですが、ゆったりと窓から木々を見ることができる、素晴らしい環境です。

主治医の回診の際には、看護師さんが私たちの髪を結び、温かいタオルを渡してくれます。患者の病状はひとりひとりが違うので一概には言えませんが、大体の患者はそのタオルで自分の体を拭きます。私は右手が不自由なので、工夫が必要でした。

朝食の時間がくると、食堂に移動します。車椅子を自分で漕ぐ人、看護師さんに車椅子を押してもらう人、松葉杖を使う人もいます。私は、右足をうまく動かせないものの、なんとか自分の足で歩いて移動しました。

みんなで「いただきます」と言って食事が始まります。食事中は、看護師さんとリハビリのお医者さんが私たちを見ていて、手助けをしてくれます。

右手を動かせない私が左手にスプーンを持ってご飯を食べようとすると、主治医の先生が「お箸は右手で持ちましょう。リハビリすればきっとよくなりますから」と、大きなトレーを持ってきました。トレーに並んでいたのは、リハビリ用のお箸やスプーン。患者の状態によって最適なものが使えるように、様々なものが揃っていました。

結局、お箸はまだ難しすぎたので、小さなスプーンを右手で持ちました。右手を使うのは、脳梗塞を起こして以来初めてでした。

「特別治療食」が口に合わず

食事が終わると、看護師さんが患者ひとりひとりに薬を渡します。何せ脳疾患なので、患者まかせにはできないということでしょう。

もし、私が失語症でなければ、配る薬を間違えないためのさまざまな工夫について興味津々で質問するところですが、残念ながら当時の私にその能力はなく、微笑することしかできませんでした。

入院中の食事は、お医者さんの指示で、年齢、状態、病状などを考慮して決められています。大きな病院なので、給食も大変です。

「一般食」と「特別治療食」に分かれているのですが、高血圧の私は塩分を減らした「特別治療食」で、ご想像通り、あまりおいしくありません。

隣のベッドの奥様が、持参した海苔の佃煮を食べているのがうらやましかったので、「こういうものを食べたい」と身振り手振りで主治医の先生に訴えましたが、「身体によくないからダメ」と言われてしまいました。食事が口に合わなかった私は、入院中、どんどん痩せていきました。

食事が終わると病室に戻り、順番に歯磨きや洗顔をします。室内には洗面台とトイレがあり、車椅子でも使えるように広々しています。

リハビリが始まるのは午前9時。

ラッキーなことに、私は9時の針の位置だけはわかっていました。

9時少し前になると、エレベーターの近くにぞろぞろ車椅子が集まってきます。看護師さんは人数を確認した上で、エレベーターで1階にあるリハビリテーション科まで送り届けてくれます。

2、3人の看護師さんと4、5台の車椅子、そして、歩けるけど、自分がどこにいるのかよくわからない私という体制で、リハビリテーション科まで移動します。

私が受けるのは理学療法、作業療法、言語聴覚療法の3つの訓練全部です。時間はそれぞれ40分ずつですが、それでも結構、忙しかった。私がどんな訓練を受けたかを、覚えている限り書いておきましょう。

出典:文春オンライン

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