熊本県宇土市に住む河野萌さん(25)は、軽度の発達障害で精神障害者保健福祉手帳2級の認定を受けている。一般企業での就労が難しいため、6年前から同市の「就労サポートセンター GAMADUS(ガマダス)」を利用。当初は就労訓練も兼ねた軽作業中心の就労継続支援B型だったが、昨年5月から最低賃金が保障され雇用契約を結べる就労継続支援A型に移行し、現在はパンの販売に従事している。そのきっかけが、eスポーツとの出会いだった。(ライター:井芹貴志/撮影:小田崎智裕/Yahoo!ニュースオリジナル 特集編集部/文中敬称略)
「周りの人と少し違うのかな」と感じていたという河野萌さん。障害があると分かった時は、幼い頃からの体験の理由が明らかになって、「少しホッとした」という
1997年生まれの河野さんは、幼い頃から人とのコミュニケーションが苦手で、他の子どもたちが親しげに遊んでいる中で「どうして自分は、一緒に遊べないんだろう」と不思議に感じることもあったという。学校ではテスト問題の意図をうまく理解できずに苦労し、中学時代には「からかわれるんじゃないか」と心配で、「行きたくないな」と思うこともあった。母のえり子さんはこう振り返る。 「運動面や言葉は少し遅くて、指先を使った工作なども苦手でした。それでも、保育園や学校には『行かなきゃ』と頑張って通っていましたから、親としても『大丈夫だろう』と考えていました」 県内の高校を卒業した河野さんは、実家から離れた温泉旅館に仲居として就職。短期間の研修を経て接客業務についたが、体力的にハードな上、指示されたことを理解できずに叱られたり、緊張でうまく話せなかったりと、なかなか仕事に慣れることができなかった。 そんな折、「平成28年(2016年)熊本地震」が発生。「家に帰れなくなるのではないか」という不安や被災した実家の様子も気になり、精神的にも疲労したことで、やむを得ず離職。この時はまだ、自身に障害があるという認識はなかった。むしろ、生来の責任感の強さから「早く次の仕事を探さなくては」とハローワークに通い、職業訓練校でパソコン操作やコミュニケーションスキルを学んだ。 軽度の発達障害であることが分かったのは、21歳の時だ。就労支援を行う「若者サポートステーション」に通っていたところ、精神保健福祉士の資格を持つ職員に勧められ、専門機関で検査を受けた。
現在は「まちパンLab(ラボ)宇土店」のスタッフとして働く河野さん
河野さんは2019年3月、「就労サポートセンター GAMADUS(ガマダス)」(熊本県宇土市)に登録し、就労継続支援B型で就労訓練をスタート。作業委託先の海苔工場で、シーラー(袋詰め)や検品といった軽作業に従事した。 事業所と雇用契約を結び、最低賃金を上回る給料が保障される就労継続支援A型に対し、B型は障害の程度や症状に合わせて無理のない範囲での軽作業を行い、その対価として「工賃」を受け取る。自分のペースで仕事ができる反面、収入は低い。通院でのリハビリなどもあり、河野さんも当初は週2日の就労だった。 そうして1年ほど経った頃、「GAMADUS」では、施設を利用する人のリハビリやレクリエーションを兼ね、eスポーツを導入。これが河野さんのやる気を引き出すことにつながる。市販のゲームソフトを使った対戦だったが、小さい頃から自宅や母の実家にあったパソコンに触れ、高校でも使い方を勉強していた河野さんは、他の利用者より操作がうまく、認められる機会になったからだった。 「GAMADUS」で精神保健福祉士として彼女を担当してきた横山幸輝さんはこう言う。 「対戦に勝てば自信になりますし、負けると悔しさと共に『次は頑張ろう』という気持ちが芽生えます。B型での軽作業からできることを少しずつ増やして、一つずつクリアしてきたことも自信になったと思いますが、eスポーツに取り組んで他の利用者の方に応援されたり、点数が伸びたりすることで、萌さん本人のやる気につながった面もあると思います」 職業訓練としてタイピングや表計算ソフトを勉強し、2019年11月には熊本県代表としてアビリンピック(全国障害者技能競技大会)にも出場するなど、河野さんはもともといろんなことに挑戦する気持ちを持っていた。「できないことではなく、できることにeスポーツが”光を当てた”」(横山さん)のだと言える。
就労継続支援A型として、普段はパンの販売を担当。コミュニケーションは苦手だが、限られた販売時間で一つでも多く買ってもらえるよう、積極的に声をかけている
そんな様子を見て、横山さんは就労継続支援A型への移行を提案。「GAMADUS」を運営するNPO法人「まちくらネットワーク熊本」(熊本市北区)が事業主体となっている「まちパンLab(ラボ)宇土店」のスタッフとして、パンの販売などを行うのが具体的な仕事だ。 河野さん本人は、「コミュニケーションは苦手だし、接客は自分に向いていないんじゃないか」と思ったが、母のえり子さんは「人と関われる機会だから」と勧め、昨年5月からA型に移行、現在は1日5時間、週5日、勤務している。 朝8時半に出勤し、同じA型の仲間と共に作業場を掃除したあと、職人が焼き上げたパンをひとつひとつ袋に入れ、複数ある販売先ごとにパンを仕分け、ランチタイムに間に合うよう、日によって異なる販売先へ出向いて販売する。通常は「GAMADUS」の職員も同行するが、今年の春からは、一人で売り場を任されることが増えた。 取材した日は、宇土市内の病院に併設されたグループホームを訪問。スタッフや利用者が前を通るたびに「パンはいかがですか?」「アイスコーヒーもご一緒にどうぞ」と声をかけ、「これは何のパン?」「どんな味?」という問いかけに丁寧に答え、時には次回来訪時の注文も受ける。 「最初はうまく対話できなくて難しかったです。でも、『このまえ買ったパン、おいしかったよ』と言ってもらったり、『次はこのパンを持ってきてね』と注文が入ったりするとうれしい」 商品と代金のやり取りやお客さんとのコミュニケーションもスムーズ。呼びかけの成果もあって1時間弱で60個ほどが売れた。 母・えり子さんはこう言う。 「今では仕事から帰ってきて『今日は何個売れたよ』と話してくれます。時には『お客さんに説明しなくてはいけないから』と、お店のパンを買ってきて試食したり、勉強のためにと他のパン屋さんの商品を買ってきて値段と味の感想を言ったりしていて、意欲的に頑張っている姿を見ると『成長しているんだな』と感じます」
「第1回UDe-スポーツ全国施設対抗戦」に参加した「GAMADUS」チーム。9人が代表でプレーしたが、他の施設利用者もモニターの様子を見ながら応援し、楽しい時間を過ごした
河野さんが就労継続支援A型へ移行するきっかけになったeスポーツは、コンピューターゲームを使った対戦をスポーツ競技としてとらえるもので、2000年ごろからその名称が使われ始めた。いまでは多くの人がプレーし、国内でも300人以上がプロとして活躍している。 ただ、その多くは若者で、障害者や高齢者にはあまり馴染みがない。そうした現状を受け、年齢や障害の有無に関係なく、誰もが気軽に参加できるようにと工夫されたのが、「ユニバーサルデザイン化されたeスポーツ」=UDe-スポーツだ。 2、3色のボタンを押す簡単な操作によって画面上のキャラクターが動き、タイムや点数を競う。「アニマルリレー(徒競走)」や「玉入れ」「もぐらたたき」「だるま落とし」など全11タイトルが揃い、現在は全国でおよそ60の障害者施設、高齢者施設などで活用されているという。「GAMADUS」では、eスポーツを経て昨年8月からUDe-スポーツを採用した。 障害者の方でも簡単に扱えるこうしたオリジナルゲームやコントローラーの企画・開発、eスポーツやパソコン操作のための福祉用具の提案とサポートを行っているのが、株式会社ハッピーブレイン(熊本県合志市)だ。同社は、医療、介護の現場で15年にわたり理学療法士として仕事をしてきた池田竜太さんが2020年8月に起業。障害者や高齢者が社会参加できていない現状を目の当たりにしたことが起業のきっかけだという。 「自宅で寝たきりの方に限らず、障害者の方たちは社会との接点が少なく、就労するための技能をなかなか獲得できない現実があります。eスポーツを通じてそうした方たちが外部と交流する機会を作り、楽しみながら競うことで挑戦する心を養い、パソコン操作の技能などを習得してもらえば、社会参加や就労支援につながるのではという思いがありました」 そうした思いを背景に、昨年5月、一般社団法人UDe-スポーツ協会を設立。1年が経った今年5月25日、全国9カ所の福祉施設をオンラインでつないだ「第1回UDe-スポーツ全国施設対抗戦」を開催した。
河野さんは「GAMADUS」でeスポーツと出会い、他の施設利用者から褒められたり、認められることが自信につながっていった。仕事を終えた後に楽しんでリフレッシュすることも
「GAMADUS」からも、河野さんをはじめ、同施設を利用する9人が大会に参加。普段からUDe-スポーツを取り入れていることで好成績が期待され、メンバーとならなかった施設利用者も声援を送ったが、グループ予選で敗退。チームのエース的な存在である河野さんも、本番の緊張から本来のパフォーマンスを発揮できなかった様子。 それでも、「他県の方と対戦することがないので、いい交流の機会になりました。今回は緊張してうまくいかなかったぶん、次はもっといい点数を出せるように、練習して上手になりたいです」と笑顔を見せる。他のチームメンバーや応援に回った利用者からも、「次は負けないように、もっと練習しなきゃね」といった前向きな言葉が聞かれた。 UDe-スポーツ協会の池田さんは言う。 「今回は施設ごとの対抗戦でしたが、大会という形をとらなくても施設同士で自由に交流してもらいたいですし、利用者の方が楽しみながら、『できなかったことができるようになる』体験をすることで前向きになってもらえるよう、もっと多くの施設に広げていきたい」 河野さん自身は、さらに自信やスキルを高め、将来的にはパソコンを使った事務作業をする仕事に就きたいという希望を持っている。障害者や高齢者の間でUDe-スポーツがさらに広がれば、河野さんと同じように成功体験を積み上げて自信を深め、自ら道を拓いていく人が増えそうだ。
連載:編集部インタビュー
理学療法士・柔道整復師・鍼灸師のトリプルライセンス キャリアアップを考える
厚生労働省は2019年に「2040年には理学療法士と作業療法士は供給…
2024.11.15 UP
連載:編集部インタビュー
大量離職からのV字回復 「スタッフとその家族も守る」医師と理学療法士の兄弟が経営再建に挑む
介護スタッフの人材不足は深刻な社会問題となっており、介護事業者の倒産…
2024.10.23 UP
連載:国際福祉機器展2024
TOYOTAの電動車椅子がすごい!! 国際福祉機器展2024 取材レポートVol. 2
2024年10月2日〜4日に東京ビッグサイトで開催されました第51回…
2024.10.09 UP
連載:国際福祉機器展2024
リハビリ専門職は知ってなきゃダメ!? 介助犬って何? 国際福祉機器展2024 取材レポートVol. 1
2024年10月2日〜4日に東京ビッグサイトで開催され…
2024.10.09 UP
連載:編集部記事
理学療法士と作業療法士の違いとは?
理学療法士と作業療法士の法的な違いとは? 理学療法士と作業療法士の法…
2024.09.23 UP
連載:編集部インタビュー
LGBTQ+ 医療現場での対応を考える
ゲスト:中西 純(なかにし じゅん)さん 理学療法士。都内の総合病院…
2024.09.13 UP
連載:編集部インタビュー
理学療法士・柔道整復師・鍼灸師のトリプルライセンス キャ…
厚生労働省は2019年に「2040年には理学療法士と作業療法士は供給…
2024.11.15 UP
連載:編集部インタビュー
大量離職からのV字回復 「スタッフとその家族も守る」医師…
介護スタッフの人材不足は深刻な社会問題となっており、介護事業者の倒産…
2024.10.23 UP
連載:国際福祉機器展2024
TOYOTAの電動車椅子がすごい!! 国際福祉機器展20…
2024年10月2日〜4日に東京ビッグサイトで開催されました第51回…
2024.10.09 UP
連載:国際福祉機器展2024
リハビリ専門職は知ってなきゃダメ!? 介助犬って何? 国…
2024年10月2日〜4日に東京ビッグサイトで開催され…
2024.10.09 UP
連載:編集部記事
理学療法士と作業療法士の違いとは?
理学療法士と作業療法士の法的な違いとは? 理学療法士と作業療法士の法…
2024.09.23 UP
連載:編集部インタビュー
LGBTQ+ 医療現場での対応を考える
ゲスト:中西 純(なかにし じゅん)さん 理学療法士。都内の総合病院…
2024.09.13 UP
CのMEMBERになると、
オンラインコミュニティでの
MEMBER同士のおしゃべりや
限定コラムやメルマガを
読むことができます。
MEMBER限定のイベントに
参加も可能です!