国際的なサーフセラピー組織「ISTO」のクリス・プリマシオさんと、エジンバラ・ネピア大学の研究者ジェイミー・マーシャルさん。 サーフセラピーの第一人者であるふたりに、サーフィンがもたらす効果について伺った。
2018年3月、ワシントンポスト紙に興味深い記事が掲載された。それはアメリカ海軍が100万ドルの費用をかけて、サーフィンのセラピー効果に関する研究に乗り出したという内容で、特にPTSD(心的外傷後ストレス障害)、うつ病、睡眠障害を抱える軍人への効果を期待してのものだった。 カリフォルニアのサンディエゴ海軍医療センターに勤める医師による「サーフィンはトラウマを負う前のような健康的な生活に戻る方法」だとする言葉も紹介され、臨床心理学者のクリステン・ウォルター氏が率いる研究チームからの報告も掲載。 週に1度のサーフィンを6週間続けるプログラムの第1回目において、うつ病やPTSDを患っていた参加者の軍人に数度のアンケートを行ったところ、症状に改善の兆候が見られたとした。 定期的なサーフィン体験を日常に取り入れることで、不眠症が改善され、不安感が減り、人生に対する否定的な見方や、そのほかのうつ病の症状を軽減させる可能性を示したのだという。 それから5年近くが経ち、研究結果に関する続報は見かけない。今もって期待された効果が科学的、医学的に立証されずにいる可能性が高いが、その一方でサーフセラピーそのものは諸外国で広まっているよう見える。 サンディエゴには「ISTO」(INTERNATIONAL SURF THERAPY ORGANIZATION)という組織があり、セラピーとしてのサーフィンの活用促進をビジョンに掲げている。 ウェブサイトにはパートナーシップを結ぶ団体が紹介されており、カリフォルニアやオーストラリア、ハワイといったサーフィン先進の地ばかりでなく、スコットランド、オランダ、スペイン、ポルトガルといったヨーロッパ諸国、ペルー、プエルトリコ、フィリピンといった国々にもサーフィンによるメンタルヘルスを提供する団体が存在していることがわかる。 そもそもサーフセラピーとはどういうものなのか。プログラムの具体的な内容について、「ISTO」のCEOであるクリス・プリマシオさんに聞いてみた。すると’17年に設立された同組織を率いる彼女は、薬や手術などに頼らない心理療法や物理療法を行う伝統的なセラピー同様の効果を得るための新しいアプローチなのだと説明してくれた。
「精神や肉体に障害のある参加者が行うのは“ただ波に乗るだけ”です。誰かと競う必要も、格好良くライディングする必要もありません。 この非常にシンプルなプログラムを遂行するうえで、私たちはまず陸上でどのようにサーフィンをするのかをレクチャーします。それから海へ向かい、セラピストやプロサーファー、ソーシャルワーカーといった人たちの協力を得ながら、安全を確保し、波に乗る経験へ誘います。 これまで子供から大人まであらゆる世代が参加してきました。脳卒中を5回も患った年配の男性が参加したこともあります。その人はサーフボードの上に立つことはできませんが、それでも波に押され、波の上を疾走していくフィーリングを楽しみ、笑顔を見せていました」。 またサーフィンは有酸素運動であり、筋力、持久力、バランス感覚を要する全身トレーニングであることからフィットネス効果への期待も高いと付け加えた。心身に刺激を与えることで健康上のメリットを多く生み出すのだと言うのである。
さらに興味深いのは「ISTO」によるサーフセラピーの定義では、人々をサーフィンに連れていくだけでは十分でないとすることだ。この点については、同定義の作成に関わったジェイミー・マーシャルさんが詳しい。 スコットランド在住の彼はエジンバラ・ネピア大学の研究者で、サーフセラピーのみに焦点を当て博士号を取得した世界初の人物。もちろんサーファーである。 「重視すべきポイントは、プログラムを提供するスタッフ、波に乗るという行為、参加する個人もしくはグループといった構成要素が有機的に結びつく必要があるということです。なぜなら参加者が患う病と症状の重さは多様だからです。 実際に私はこれまで、退役軍人、救急隊員、元少年兵、ジェンダーに基づく暴力の被害者、ギャング、自閉症スペクトラム障害の子供といった、さまざまな事情を抱く人たちがサーフィンにトライする状況に立ち会ってきました。 そしていずれの場合も、プログラムの開催にあたっては事前に病の実情を理解し、施されるべき内容を検討してきました。というのも、的確なアプローチができてこそ、初めて心理的、身体的、心理社会的な幸福を促せるからです。 逆に言えば、心理学や作業療法といった臨床の世界を追求することで得られる医療的な知見を、サーフィンの特性と融合させることができなければ、サーフセラピーの真の効果を得ることは難しいのです」。 東アフリカでジェンダーに基づく暴力の被害者に施す場合と、日本で福祉施設に入居する高齢者に施す場合とでは、プログラムの内容が異なって自然といえよう。 前者は、傷ついた心を癒やすヒーリング効果に重心が置かれ、波の上を滑空するようなフィーリングを知るサーファー同士のコミュニケーションが効果を発揮する。後者は大空のもとで波と戯れる行為を通して活力を得ることにフォーカスすべきといえる。 何よりも家庭や社会という生活環境が大きく違う。こうした参加者の背景に思いをどれほど寄せられるのかによって効果は変化するとジェイミーさんは言い、提供側が備える実力次第でサーフセラピーの可能性は大きく変わるのだと説いた。
こうしたメンタルヘルスへの好影響が期待されるものの、アメリカにおいてさえもサーフセラピストの公的資格は存在しない。 いわば自称でまかりとおってしまう状況であり、それゆえクリスさんはより真摯に向き合い、企画を立案する人、サーフィンスキルに長けた人、心理学者、作業療法士、スポーツ心理士、セラピスト、言語聴覚士、理学療法士ら多くの専門家の力を集結してプログラムを実施してきた。 そうして実績を積み重ねてきたうえで、やはり資格制度を構築するなどサーフセラピーの枠組みを体系化していきたいという。それが今以上に社会的認知度を高めるためでもあると考えている。 「アメリカ海軍による研究を含め、現在のところ医学的、科学的な見地から、サーフィンのセラピー効果が立証されたわけではありません。 ただ、ひとたび波に乗った人なら、サーフィンのあとは気分が良くなることを知っています。そして、プログラムを体験したあとも波に乗り続ける参加者たちの存在は、彼らの人生が前向きに変化した証しだと言っていいでしょう。 サーフィンは心の病に苦しむ人々の生命を守ることができるのです」。 実はクリスさん自身がサーフィンに癒やされ、救われた張本人だ。 ’10年にロサンゼルスに近いビーチタウンのマンハッタンビーチへ移り住んだことをきっかけにサーフィンを始めた頃、彼女の最愛の父親が重病に冒されてしまった。その事実に心は深く傷つき、それでも海の中で波を追っているときだけは、頭の中を空っぽにすることができた。 悲しい別れが訪れたときも同様だった。海が祈りやメディテーションの場となり、癒やされ、歩みを前へ進めさせてくれたのだ。 この出来事がひとつの転機となって、サーフィンとともに生きることを決断したのだとクリスさんは言う。自身と同様に心が傷ついた人を救うため「ISTO」を設立し、世界中の海へたくさんの旅をして実施と研究を繰り返し、仲間を増やしていった。 設立当初に8つしかなかった関係団体は、今日では6大陸に130以上が存在するまでに発展。彼らは常に連携しながら、心を病む人たちのつらい日々を幸福なものに変えるサポートを続けている。 Ken Pagliaro=写真 小山内 隆=編集・文
引用:OCEANS
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