甲子園決勝で斎藤佑樹さんをケア トレーナーが懸念する公立校の弱み

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甲子園決勝で斎藤佑樹さんをケア トレーナーが懸念する公立校の弱み

Jul 13, 2022

球児たちががむしゃらに白球を追えば追うほど、高まるのがけがのリスク。ケアが行き届きにくい公立校を中心に巡回するメディカルトレーナーがいる。地道な活動の背景には、小学生時代の苦い思いがあった。

雨が降った5月中旬。大正白稜(大阪市大正区)の体育館でメニューに取り組む選手たちの脇に、メディカルトレーナーの菊地淳さん(47)がいた。

この日は、春ごろに右ひじを痛めた投手の体をケアするために訪れた。体に負担をかけにくい腕や関節の使い方など、約30分間つきっきりで指導した。

「トレーナーが日常的に入る強豪私学と比べ、スタッフの少ない公立にはケアを必要とする選手が山ほどいる」と菊地さん。激しいレギュラー争いやチーム事情などで、不調を言い出せない選手は多いという。そんな球児を気遣って、巡回のときは菊地さんから積極的に選手に話しかける。

菊地さんは、骨折などのけがや病気でまひが残った人の運動機能の回復を手伝う理学療法士。大阪医療福祉専門学校(大阪市)で指導に携わるかたわら、公立校の運動部を中心に回って選手の体をケアしている。

菊地さん自身も、小学校時代は兵庫県の少年野球チームでボールを追った、根っからの野球好きだ。

まだ9歳だった1984年夏、第66回選手権大会決勝戦の取手二(茨城)対PL学園(大阪)をテレビ観戦した。延長十回表、PLの桑田真澄さんが取手二打線につかまったシーンが目に焼き付いている。「感情移入しすぎて悔し泣きしたのを覚えています」

ただ、大好きな野球は小学生でやめた。練習でボールを投げすぎて、肩やひじを痛めてしまったからだ。中学校から大学までは剣道に打ち込んだ。

剣道で得た経験は自分の大事な宝物だ。それでも、理学療法士になったからこそ思うことがある。「もし小学生の時にメディカルトレーナーが近くにいてくれたら、ぼくも野球ができていたかもしれない」と。そんな未練が今でも、心のどこかに残っている。

「大好きな野球をする夢を諦めたからこそ、今の子どもたちに悔しい思いをして欲しくない」。この気持ちが、病院や専門学校を離れて地道に球児の体を見て回っている原動力だ。

球児のケアを始めたのは2006年。高野連が募集していた甲子園での医療支援スタッフに応募した。この年の夏の甲子園決勝は、早稲田実西東京)と駒大苫小牧(南北海道)の球史に残る大熱戦。菊地さんは、延長十五回を投げ抜いた早稲田実・斎藤佑樹さんのアイシングを担当した。「子どものころから憧れていた甲子園に関わることができてうれしかった」

それ以降、18歳以下の野球日本代表のサポートにあたったほか、21年の東京五輪パラリンピックでパラバレーボールの選手を担当するなど野球以外にも活躍の場を広げている。

今年夏の大阪大会や選手権大会も、メディカルスタッフとして活動する。

すでに梅雨は明け、大会期間中は炎天下が続きそうだ。普段以上の緊張も相まって、選手が考える以上に体力が奪われ、熱中症のリスクが高まるという。

「ベストなプレーをするためにも、普段以上に食事や睡眠が重要。悔いのない夏にするために体への気遣いも忘れずに」。球児たちが全力を出せるように、菊地さんはエールを送った。(岡純太郎)

引用:朝日新聞DIGITAL

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