金融庁は2023年3月期以降、有価証券報告書を発行する大手企業を対象に、人的資本の情報開示を義務付け。企業では、経営戦略と人事戦略をいかに紐付け、現場まで落とし込むのか、早急な対応が求められている。 そうした中、Forbes JAPANでは、「人的資本経営」の時代に経営層や人事が持つべき視点、求められていることなどについて語るトークセッション・シリーズをスタート。3月10日に開催された第1回では、ゲストのリクシス副社長 酒井穣氏とForbes JAPAN Web編集長の谷本有香、1000社以上へCHRO機能の強化支援実績を持つLUF会長の堀尾司氏が、白熱のトークを繰り広げた。 酒井氏は現職で仕事と介護の両立支援サービスを提供するほか、30年以上に渡り家族を介護。日系企業で人事担当の取締役を務めた経歴も持つ。同氏を中心としたトークは、日本が超高齢化社会を迎える中、経営層や人事が人的資本経営をどのように実現していくのかを、生物学や脳科学、社会学、歴史など様々な観点から論じる多角的な展開に。本記事では、1時間に及んだトークセッションの一部をレポートする。 ■仕事と介護の両立支援は、人的資本経営に不可欠 谷本有香(以下、谷本):穣さんは33年間、介護と仕事の両立を経験されてきて、当初はまだ人的資本の考えも広まっていない頃だったかと思います。今の流れをどう見ていらっしゃいますか。 酒井穣(以下、酒井):今の日本は、人類史上かつてない高齢化の道を進んでいます。「かつてない」高齢化です。全然違った社会が出現しようとしている。だけど、みんな意外とそのことに意識が向いていないんです。それはなぜかというと、老いや介護については本気で考えたくないから。 学校の社会の教科書には、「これから肩車社会になり、少ない数の現役世代がたくさんの高齢者を支えていく構図になるよ」という警告はありました。そのため事実としては知っているけれど、やっぱり本気で考えている人はほとんどいない。今、仕事をしながら介護も行っている人は大体10%ぐらいだと言われていますが、高齢化が爆発する2025年には、何%になると思いますか。 堀尾司(以下、堀尾):20%くらいでしょうか。 酒井:実は、30~50%になります。2025年には、ビジネスパーソンの2~3人に1人は介護をしているのです。こんなビッグウェーブはない。これが人類史上かつてない高齢化を今後、日本が経験するということです。 そして激変する環境下で、非連続の社会になっていきます。本気で準備をしなくてはいけない。だけど先ほどもお話ししたように、介護への危機感は生まれにくいものです。お父さんやお母さんが弱っていく姿は、誰も想像したくないじゃないですか。ある程度の強制力をかけていかないと、大変な社会になってしまうことが目に見えている。 資源のない日本にとって、人的資本経営は非常に重要です。だからこそ、経産省と金融庁が旗を振って、有価証券報告書を発行する会社に対して、人事に関する情報開示義務を作ったという側面があると思います。今後、例えば「仕事と介護の両立支援の状況」や「従業員に占める介護中の人の割合」などが、開示義務の対象になっていく可能性があります。少なくとも、任意開示の推奨レベルのことは、確実に怒るでしょう。 そうなった時に、多くの人事担当取締役は慌てることになります。しかし、それが実現すると非常にインパクトがあるものです。開示義務が課されることで、良い方向に運べばいいと考えています。 谷本:約半数が介護を経験し、多くのビジネスケアラーが生まれる時代に必要とされるサービスや支援とは、具体的にどういったものでしょうか。 酒井:私自身、介護をしていて一番衝撃的だったのは、介護が必要な母親に対するサービスはたくさんあるのに、介護と仕事を両立するためのビジネスパーソン向けのサービスが見当たらないということです。だから、自分自身が欲しかったサービスを自ら創ることで、「僕と同じ後悔をする人を減らしたい」、それが今の自身の大事なミッションであり、リクシスを立ち上げたきっかけでもあります。
■2025年に向けて準備しないのは、善管注意義務違反 酒井:特に注意したいのが、企業の介護支援では「介護と育児は似ているから、対応も一緒だろう」と思う人がたくさんいること。これは決定的な間違いです。育児は、「今日から育児を始めてください」と言われても、ある程度はできてしまうもの。なぜなら、私たちは誰でも育児されたり、教育されたりしたユーザー体験を持っているからです。 ある意味、教育哲学みたいなものをみんなが持っていて、自分でそれと照らし合わせて、育児に必要な手段や支援サービスを判断できるのです。さらに妊娠から出産までの準備期間には、覚悟をする時間もある。 一方で、介護は急に始まり、自分自身が予め体験できないものです。小規模多機能型居宅介護や地域包括支援センター、特別養護老人ホーム、理学療法士、作業療法士、急性期リハビリテーションなどの様々な支援サービスを上手に組み合わせれば、介護者の負担は減ります。しかしユーザー体験がないので、勉強しないと分からないし、選べないわけです。 それに、育児は子供の成長に伴って楽になっていきますが、介護はいつ終わるか分からない。介護はリテラシーとお金があれば乗り越えられるものですが、準備が必要です。例えば企業によっては、「社員が休みやすい環境があればいい」と考える人事担当がいます。それは育児には当てはまりますが、介護では違います。介護には時間とお金がかかるので、介護者は仕事を休みたくはないのです。休みやすい職場ではなく、仕事を休まずに介護も行っていくために、具体的な知識が必要になるわけです。 谷本:なるほど。実はコロナ禍でClubhouseが流行った時、穣さんと一緒に「ポストコロナ時代にどういった管理職が求められるか」というテーマでお話をさせていただいたことがありました。 その時におっしゃっていたのは、もちろん介護の問題は当然だけれども、今後、様々な多様性を確保できる職場を作っていこうとした時に、管理職の方たちが介護であるとか様々なところに想像力を働かせたり、それらに関するリテラシーがないと、組織として、仕組みとして落とし込むことはできないし、社員を良い方向に導いていくことはできないと。そう思うと、本当に広範囲な問題ですよね。 酒井:「(介護をする人は)全然マイノリティじゃない」ということを、経営者や人事の人にはもっと知ってほしいですね。あなたの会社の従業員の半分が、2025年には介護する状態になっているのだと。企業としてそれに向けて準備していないのは、厳しく言うと、まさに善管注意義務違反だと思いますね。
■メタバースは、年齢のアンコンシャスバイアスを無くす 堀尾:通常、人的資本というと、どうしても自身の会社だけに意識を持っていってしまいがちですが、酒井さんは世界的、マクロでいろんな物事を見てらっしゃいますよね。例えば10年後に働いている人たちは、どんなふうに企業や仕事と向き合わなければいけないのか、少し長期的な視点から考察されているのであれば、ぜひ伺いたいです。 酒井: 10年後というと、ちょうど団塊ジュニアと呼ばれる一番人口ボリュームの多い僕らの世代が50代後半となり、早期退職制度のターゲットになっていて、職場を退職もしくはそれ以上キャリアが上がらないトラックに入っていると想定されます。 ChatGPT的な人工知能の普及も進み、取って代わられる職もあるでしょうが、現役世代がすごい勢いで減る中で、人材はおそらく足りなくなるでしょう。その頃、限られている人材をどう有効活用していけばいいのか、という話が、今これだけ日本で人的資本経営が大問題になっていることにつながってくる。 この3月期の決算から開示義務が始まるわけじゃないですか。急すぎるという声もたくさんあるとは思うんですが、それぐらい焦らないとまずい状態だということが、10年後を考えるとはっきりと見えてくるわけです。そんな中、僕が一番注目しているのは「メタバース」です。 谷本:「メタバース」が、人的資本経営にどう関わってくるのでしょう。 酒井:企業には、広く人材を活用していくことが求められています。そこでハードルになるのが、アンコンシャス・バイアスです。中でも一番大きいのが、年齢差別です。 生物学的に言えば、年齢が上がってくると健康な遺伝子を残せる確率が下がっていく。だから生物は残酷で、相手の年齢をかなり正確に当てられるセンサーを持っているんです。年齢差別は、人間に本能レベルで組み込まれている一番根深いアンコンシャス・バイアスの一つなのです。 例えば、60歳になると定年しなくてはならないというルールは、ひどい年齢差別ですよね。だけど、差別を差別だと叫んでも社会が変わらないということは、我々がよく見てきた通りで、やはり仕組みに手を入れなくてはならないわけです。 具体的な仕組みとして求められるのは、相手の年齢を見えなくすることです。メタバース上でアバターによって仕事をする未来。「サマーウォーズ」や「竜とそばかすの姫」を想像してもらうといいのですが、自分に好きなアバターを着せて、互いに年齢が分からなくなるスペースで取引が行われる未来が、実は大きな希望になってきます。 人類史上かつてない高齢化社会に突入した時、年齢差別を放置しておくと、著しく社会の生産性が落ちることにつながります。実際に、自分自身が無意識にも年齢差別をするので、意思決定を合理的にできていないことってあるじゃないですか。 例えば「こんな年齢だから、今さら勉強しても遅い」と学びなおしの機会を逃しているかもしれません。でも仮にface to faceに近い形で、メタバース空間でやり取りをするようになったら、自然と年齢差別が消えるわけです。そうすると自分が本当はやりたかったけどプライドが邪魔してできなかった、初心者として始めにくいようなことにも、積極的に取り組める未来が10年後には訪れていると思います。
■強いバイアスがある日本こそ、メタバースの効果は大きい 谷本:それは大きいですね。でも例えばスポーツなど、物理的でメタバース空間では実現できないケースもあるのではないでしょうか。 酒井:できる、できる! 全然できますよ。メタバース空間には全く見たこともないスポーツが出てくるわけで、ものすごく面白いことになるはずです。これが何に良い効果をもたらすかというと、本質的な高齢化社会への対策になります。 というのも、介護になりやすいタイミングは基本的に、仕事を失った後なんです。本当の介護予防は、社会との接点を維持すること。もっと言うと仕事を続けることです。孤独は、喫煙や肥満よりずっと健康に悪いことが分かっています。仕事上の関係性は、学生時代のようにはいきませんが、時にはふと思い出してコンタクトを取ったりと、社会とのつながりは保たれるわけです。これが高齢者の孤独を防ぎ、介護予防になります。 堀尾:なるほど。だからこそ年齢差別を撤廃して、柔軟な採用や起用が必要になるわけですね。 酒井:年齢差別は本能的なので、おそらく教育による撤廃は無理です。だから仕組みが大事です。アマゾンのジェフ・ベゾスがよく話していることですが、仕組みで解決しないとインパクトがないんですよね。メタバース空間で暮らす未来がくれば、75歳の人がForbes JAPANの新入社員に応募してくることもあるわけです。その人がいいなと思えば採用するだろうし、バイアスはかからない。それが当たり前になる未来が、超高齢化社会を乗り超えるために本質的に必要なことだと思います。 堀尾:今後、ビジネスケアラーが増えていくと、介護・育児の両立や男性育休、働き方改革などは当たり前の焦点だということですね。一方、そこを補うためには、女性の活躍もとても重要だと思います。酒井さんはどうお考えですか。 酒井:日本は、女性差別が根強い国の一つですよね。でも実はそれが日本社会の大きな伸びしろだと思っています。本当はもっと活躍できるのに、できていない女性がたくさんいるということですから。より多くの女性が活躍できる社会にしないと、社会全体が沈んでしまいます。これは絶対に取り組まなければいけない問題です。 同時に、年齢差別と同様、女性差別を本当に無くすことはできません。アンコンシャス・バイアスの中にそういうものがあると理解して、自分なりに眼鏡をかけて何とかしようとしても、本質的にはかなり難しい部分もあると思います。さっき申し上げた通り、メタバースのような未来では、性別も分からないわけです。 性別も年齢も分からない空間で、相手にバイアスをかけられない仕組みが実装された時、それは一気に解決するはずです。高齢化が止まらない日本にとって、大きな希望になる部分です。日本社会では古いものを大切にするような強いバイアスがあるからこそ、メタバースのインパクトは潜在的に非常に大きいと思っています。
他にもトークセッションでは、「人的資本経営時代のマネジメント」「企業を超えた人的資本経営への流れ」にまで話題が及んだ。 第2回には、カインズ最高人事責任者(CHRO)の西田政之氏がゲストとして登場。記事も随時公開していく。 ■登壇者プロフィール 酒井穣(さかい じょう)◎リクシス代表取締役副社長 CSO。慶應義塾大学理工学部卒。Tilburg大学経営学修士号(MBA)首席取得。商社にて新規事業開発に従事後、オランダの精密機器メーカーに光学系エンジニアとして転職し、オランダに約9年在住。「人的資本経営」への興味の高まりから帰国し、フリービットの取締役(人事・長期戦略担当)を経て、2016年リクシスを同社社長の佐々木と共に創業。30年以上に渡る介護経験があり、NPO法人カタリバ理事やプロ野球選手会顧問なども兼任。数々のメディアに介護関連の有識者として出演。 堀尾司(ほりお つかさ)◎LUF 代表取締役会長、All Personal代表取締役CEO。リクルートを経てソフトバンクBBへ。ソフトバンク通信事業3社を兼任し、営業・技術統括の組織人事を担当。その後、グリーへ転職し、国内の人事戦略、人事制度、福利厚生、人材開発の責任者を歴任後、東京東信用金庫に入庫。地域活性化に従事し、2017年All Deal創業。2018年にAll Personalへ社名変更。All Personalでは、パフォーマンステック事業 CANTERA責任者も務める。 谷本有香(たにもと ゆか)◎Forbes JAPAN Web編集長。証券会社、Bloomberg TVで金融経済アンカーを務めた後、米国でMBA取得。その後、日経CNBCキャスター、同社初の女性コメンテーターとして活躍。3000人を超える世界のVIPにインタビュー実績があり、国内では多数の報道番組に出演。現在、経済系シンポジウムのモデレーター、政府系スタートアップコンテストやオープンイノベーション大賞の審査員、企業役員・アドバイザーとしても活動。2016年2月よりForbes JAPAN参画。2020年6月1日より現職。
引用:Forbes JAPAN
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